日本語と英語の行間で考える
2026年10月19日 更新
キニマンス塚本ニキ 通訳・翻訳家・ラジオパーソナリティ
幼少期より日本語と英語を使い分けながら、それぞれの表現やコミュニケーションについて考えてきたニキさんの視点で、これらの魅力や ままならなさをポップにライトにつづります。
第3回 「話せばわかる」ことばかりじゃない
岡山城の近くを流れる旭川では桃のボートに乗れるらしい。ピンク色の真ん丸な桃をかたどったボートで水上散歩する様子は絵になっていて、SNSでもたびたび話題になる。大きな桃に乗って「どんぶらこ~どんぶらこ~」とつぶやきながらボートをこぐなんて楽しそうだ。今度、岡山に遊びに行ってみようかしら。
旭川には桃以外にも、白鳥やタンチョウのボートもあるそうで、ネットで読んだある人の情報によると、外国人観光客のほとんどが桃ではなく鳥のボートを選ぶそうだ。確かに、桃太郎をまったく知らない外国人からしたら、なぜ川に大きな桃が浮かんでいるのか、ピンと来る人はほとんどいないだろう。
桃太郎という文脈が共有されていないから、感動も喜びも共有されない。「日本には『桃太郎』という有名なおとぎ話があってね……」といちから説明することはできても、相手は「理解」はできるだろうが、それが「感動」や「共感」につながる可能性は低いだろう。
通訳をしていると、こういう「前提となる文化的な文脈が共有されていない」事態に直面することはよくある。これこそ技術とセンスが試される瞬間だ。できるだけわかりやすく、しかし事実を曲げずに、時にはユーモアを混ぜたりしながら一生懸命に説明しても、「ふーん、日本人はそういうのが好きなんだ」という、他人事のような反応しか返ってこない場合もある。そういうときは最低限の情報共有さえできていれば、相手の「共感」を諦めることも大事だと、私は思う。
もちろん「桃から生まれた男の子! それはおもしろい!」と好奇心で反応してくれる人もあるが、ややインテリじみた相手だと「桃太郎は日本人にとってのヒーロー像なのか? 桃から人が生まれる描写は神道に基づくアニミズムの表れなのか、それとも仏教の輪廻(りんね)を表現しているのか?」と分析を求められてタジタジになることも。いずれにせよ、「理解」がないところに「共感」はなかなか生まれない、というのが、数々の異文化コミュニケーションを経て私が悟ったことだ。
桃太郎が知られていない文化圏で「大きな桃の物語」といえば、イギリスの小説家のロアルド・ダールのJames and the Giant Peachを思い浮かべる人が多いだろう(和訳版は『おばけ桃の冒険』など)。巨大な魔法の桃の中に潜り込む少年と7匹の虫たちの奇想天外な冒険譚(ぼうけんたん)で、英語圏の小学校には必ず置いてあるといっていいほど有名な作品だが、日本では映画版を含め、知名度は低い。
私自身、幼少期に『桃太郎』を読み聞かせてもらい、小学生になってダールの作品をいくつも読んだ身として、英語で“giant peach”と聞けばジェームスを思い出し、日本語で「大きな桃が」と聞けば「どんぶらこ」とコールアンドレスポンスするだろう。
両方わかる立場として、わからない人にどこまで「わかって」もらいたいのか。どこまで共有されれば「わかり合えた」ことになるのか。考えが行き詰まりそうになったときは、「桃ってピンクでかわいい」の気持ちだけ共有されれば、満足できるようになりたい。
タイトルイラスト: 水沢石鹸
キニマンス塚本ニキ
通訳・翻訳家・ラジオパーソナリティ
1985年東京都生まれ。9歳から23歳までニュージーランドで暮らし、オークランド大学で社会学・ジェンダー学・映像学などを学ぶ。日本に帰国後、フリーの通訳・翻訳者として国内外の社会課題の啓発や対話の現場に携わる。TBSラジオ「荻上チキ・Session」やYouTubeチャンネル「ポリタスTV」などのレギュラー出演、雑誌コラムを通して発信中。著書に『世界をちょっとよくするために知っておきたい英語100』(Gakken)がある。
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