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からだと言葉④――[からだと言葉にまつわるエッセイ]声にする

教育情報誌「とことば」

2026年10月20日 更新

教室の中と外の世界をつなぐ今日的なテーマを「言葉」を切り口に追いかける教育情報誌「とことば」。
言葉のもつさまざまな側面を切り取りながら、子どもたちに言葉のもつ可能性や豊かな世界に出会わせる方法を考えていきましょう。

言葉を使ってからだが学ぶ。からだを使って言葉を捉える。私たちは、からだと言葉を使いながらさまざまなことを学んでいます。
今号では、学びの場面で、からだの動きや行動は言葉によってどう変化していくのか、身体的な学びを言葉はどう支えることができるのか、さまざまな分野での実践を通して考えます。

声にする/恩田 陸(小説家)

ここ十年ほど、細々と続けている私の趣味は「朗読」である。読むのは、古い戯曲の翻訳や、日本の中世の説話といった古典だ。

十代の頃、初めて接した世界文学全集の最初のほうの巻は詩や戯曲だった。文学といえば小説、と思い込んでいた私は、詩や戯曲をつまらないものに感じて、それらの巻を飛ばしていた。が、大学に入り、国文科で日本の古典をおさらいして、ようやく、人間にとって、口に出して歌うもの、語るもの、それが文学だったのだ、と気付いた。何かの西洋の本に、「悪魔のように声を出さずに本を読んでいた」という、黙読を非難する一節があったのが今でも強く印象に残っている。

その後、東京で芝居を観るようになって、古典を含め、内外の戯曲に興味を持つようになった。私の読書のひとつに、「戯曲を読む」というのが新たに加わったのである。

朗読をするようになったのは、専業作家になってしばらく経ってからのことだ。家にこもって、何日も誰とも会話しないのは不健全だな、と思い、体力作りや気分転換のような位置づけで始めたのだ。「そういえば、戯曲って、本来舞台で演じるためのものなんだよなあ」とある日突然気付き、「うちにたくさんあるし、有効活用できるじゃん」と思いついたのだ。

朗読は難しい。読み手の知性と教養がモロにむき出しになる。声にしてみて愕然(がくぜん)とするのは、いか
に黙読の際に目がすべっていたかだった。適当に読み流している漢字に、読めない字がけっこうあって、すぐに立ち往生してしまう。しかも、想像以上に体力を消耗する。10分も声を出していると、本当にゼイゼイしてしまって息が続かないのだ。おまけに、内容が重厚なものは、口にしている時の負荷がハンパない。言葉のひとつひとつがずっしり重くて、読み続けるのが精神的にしんどい。役者はすごい、と改めて思った。

同時に、よくできた台詞を語る快感に目覚めた。ヒリヒリと真に迫る台詞、音楽のような台詞を口にする時、おのずと身振り手振りを加えたくなるし、自然とその役が乗り移ってくる。黙読していた時にはついぞ感じなかった感情が、身体の中から湧きあがってくる。

驚いたのは、台詞を口にして、不意に涙ぐんでしまう瞬間がしばしば訪れたことだ。大昔の、翻訳された台詞であっても胸が詰まって、自分でもなぜ泣いているのか分からないのだ。初めてそんな体験をしたのは、シェイクスピアのマイナー作品『ペリクリーズ』。家族と生き別れて苦労してきたヒロインの台詞でぐっときた。最近では、言わずとしれた名作、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』。主人公トムが、終盤、姉ローラを回想する台詞で、不意に何かがこみあげてきて、いきなり嗚咽(おえつ)してしまったのだ。そして、最後のあの有名な台詞「そのロウソクを吹き消してくれ、ローラ」で大泣きである。なんとも不思議な感覚で、同時にすごいカタルシスがあった。声にするという体験、その身体性のパワーを強く思い知らされた体験だった。

恩田 陸(おんだ・りく)

小説家

1964年宮城県生まれ。1992年、『六番目の小夜子』(新潮社)でデビュー。2005年『夜のピクニック』(新潮社)で第26回吉川英治文学新人賞と第2回本屋大賞、2006年『ユージニア』(KADOKAWA)で日本推理作家協会賞、2007年『中庭の出来事』(新潮社)で山本周五郎賞、2017年『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)で直木賞と第14回本屋大賞を受賞。

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