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大野 八生(イラストレーター・造園家)

2015年1月1日 更新

大野 八生 イラストレーター・造園家

このコーナーでは、教科書教材の作者や筆者をゲストに迎え、お話を伺います。教材にまつわるお話や日頃から感じておられることなどを、先生方や子どもたちへのメッセージとして、語っていただきます。

大野さんご自身は、国語の教科書にどんな思い出がおありですか。

わたしも小学校のとき、光村図書の教科書を使っていたので、やっぱり「スイミー」が印象深いですね。それから、「くじらぐも」。そんなに勉強ができたほうではなかったけれど、教科書に載っていたお話がすごく印象に残っています。その頃は、まさか自分が教科書の表紙を描かせていただくことになるとは思ってもみませんでしたけれど。

大野 八生(イラストレーター・造園家)

子どもの頃からイラストレーターになるのが夢だったんですか。

それが全然違って、ずっと獣医になりたかったんです。絵を描くことは好きだったので、何か描いたりつくったりというのはしていたんですけれど。とにかく動物が好きで、ザリガニやオタマジャクシやニワトリを家で飼っていましたね。世話をするのも楽しくて。だから、自分には獣医という仕事が合っているんだろうと、そんなふうに思っていました。

獣医になりたいという夢は、いつ頃までおもちだったのでしょう。

それは、けっこうはっきりしているんですよ。幼稚園の頃から高校3年の夏までです。わたし、理系にいたんですけど、数学が苦手で。ずっと成績が悪かったんです。それで、高3の夏に「もうそろそろ、自分のできることをやったほうがいいよ」と先生に言われて。自分に向いていることを探しなさいってことですよね。
そんなことがあって、「さあ、何をしよう。絵は描けるけど、それをどう生かそうか」と相談した人が、たまたま近所にいた彫刻家だったんです。その方がわたしの小学校のときの図工の先生と知り合いだったこともあって、図工の先生か美術の先生になるのもいいなと思うようになりました。そうしたら、「彫刻は、ものをいろいろな角度から見なくてはならない。だから、それ以外のことに対しても、いろいろな見方ができるようになる。先生になりたいなら彫刻がお勧めだよ」と、そういうふうにアドバイスされたんですね。

そんなきっかけがあって、彫刻を始められたんですか。

美術の先生になるつもりで美大に進学して、教員免許も取ったんですが、もうちょっと勉強してからにしようと思って、大学卒業後もしばらく彫刻を続けていたんです。作品をつくる前に、次はこんなものをつくろうと適当なラフを描くんですけど、あるときそれを見てくれた人が「なんか、こっちのほうが楽しくていいんじゃない」って言ってくれたんです。最初は「えっ!?」と思いましたけど、だんだん「そうなのかな」って。それで下書きのようなラフのようなものに色を付け始めて、いろいろなものを描くようになった。それが、絵を描くことの始まりですね。

それと、彫刻ってすごくお金がかかるんです。素材も高いし、制作のためのアトリエや、作品をストックする場所が必要になってくる。だから、あちこちでアルバイトをしていたんですけど、お花屋さんだったり造園会社だったり、なぜか植物に関わる仕事が多かったんです。生活のためにしていたことでしたが、あるときふと、「わたし、園芸やお庭の仕事が向いているのかな」と思ったんですね。
その頃は、絵を描くっていうことと造園や植物、彫刻とかが、それぞれ別の“点”にしか思えなくて、この先どうなっちゃうのかなと。まだ20代で若かったので、いろいろなことに関わりながらも不安はありました。

そこから、造園と絵を描くことの2点に絞っていかれたのですね。

実は、横浜の造園会社にいたことがあるんです。まだ日産スタジアムができる前で、何か月もかけてあちこちで大規模な造成をする時期だったんですが、その現場にいて、山や沼を整備したり、街路樹を植えたり剪定したりしているうちに、自分のやっている彫刻というものがとっても小さなものに思えてしまったんです。自分が彫っているものって、そんなに大したことないんだなって。それで、アトリエを借りるのをやめちゃったんですが、それでも絵は描き続けていました。
その後、身体を壊して造園会社をやめて、今度はパソコン雑誌の編集部で働いてみたんですが、あまりにも自分に合わなくて。だけど、どうにかして生きていかなければいけない。それで、都内の小さなお花屋さんで働くことにしたんです。個人のお庭をたくさん請け負っている会社でした。

大野 八生(イラストレーター・造園家)

それまで経験してきた土木工事に近いような造園とは違って、その会社では小さな庭づくりの経験を重ねさせていただきました。その頃ようやく、人に絵を見ていただくような余裕が出てきました。少しずつ絵のお仕事もいただけるようになってきたんですが、それでもやっぱり2本柱だったので、その2本がどういう形でこれから一つの“点”になっていくのか、迷いがありましたね。

その迷いはどうやって解消されたんですか。

自己紹介するとき、初めのうちは造園家とイラストレーターという肩書きのどちらか片方しか言わなかったんです。両方伝えてしまうと、「いったいどちらが本業なの」と思われるんじゃないかって。自信がなかったんだと思います。どんなジャンルの仕事でも、皆さん、一つのことにすごく情熱をもってなさっているので、自分の中途半端さにすごく引け目を感じていたんでしょう。まあ、それは今でもすごく思っていることですけれどね。「わたしは何屋なんだ」って。

大野 八生(イラストレーター・造園家)

そんなとき、ある人が、こんなことを言ってくれました。「それは自分で決めなくていいことじゃないの」って。あなたが死んだときに「こういう人だったね」って周りのみんなが言ってくれるから、それまで安心して、やりたいことを全部やればいいんじゃないかって。
その話を聞いて、なんだかすっと楽になりましたね。それまでずっと、いずれはがんばって一つに絞らなきゃいけないと思っていた。でも、両方やっていけばいいんだと思えるようになって。なんだか、自分の間口が広くなったように感じました。

撮影協力

Photo: Shunsuke Suzuki Text: Marie Usuki

大野 八生 [おおの・やよい]

1969年、千葉県生まれ。園芸好きの祖父のもと幼い頃から植物に親しみ、植物に関わるさまざまな仕事を経て造園家として独立。そのいっぽうで、女子美術短期大学卒業後に描き続けてきたイラストが評価され、雑誌・書籍などでイラストレーターとしても活躍中。著書に、絵と文を手がけた絵本『にわのともだち』『じょうろさん』(ともに偕成社)、エッセイ集『夏のクリスマスローズ』(アートン)などがある。

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