アートが生まれるとき
2023年11月30日 更新
保坂健二朗 滋賀県立美術館ディレクター(館長)
このコーナーでは、毎回アール・ブリュット(※)の作家を一人取り上げ、滋賀県立美術館ディレクター(館長)の保坂健二朗先生にご紹介いただきます。
※アールブリュットとは、「生(なま)の芸術」を意味するフランス語で、評価や流行とは関係なく、「つくりたい」という衝動から制作された独自の表現を指します。
紙とはさみを用いて
「紙とはさみと 1~2色のクレヨンを使って何かをつくってみましょう!」
そう言われたら、あなたはどんなものをどのようにつくりますか? きっと多くの人は、果物や木など何かをかたどったうえで、つまり切り絵をつくったうえで、そこに色を塗っていくのではないでしょうか。紙に色を塗り、その紙をちぎったうえで、 山下清のようなちぎり絵をつくる人もいるかもしれません。
今回紹介する藤岡祐機は、そのどちらとも違う手法を自ら生み出しました。たとえばこんなふうに。
まず、紙の裏表それぞれの一部に色を塗ります。表は水色、裏はピンク色といった感じです(写真❶)。そのうえで、長方形や、ちょっと変わった(象に見えなくもない)形(写真❷)に切り取り、さらにその形の一部を、櫛の歯のように細く切っていきます。その櫛の歯の幅は、1mm に満たないほど。それゆえか、それとも切り方にコツがあるのか、櫛の歯の一本一本は螺旋状に巻くことになるのでした。
するとどうなるか。くるくるとしている箇所では、裏側のピンク色が、水色のうちに見えることになります。そんな櫛の歯を、長方形の下側だけでなく上側にも施せば、それはもう、「櫛のようななにか」ではなくて、「シンプルだけれど複雑な、繊細だけれど構築性の感じられる美しいオブジェ」となるのでした。
一応断っておくと、藤岡が使うはさみはごく普通の、数百円で買えるような製品です。
写真❶
【無題】6.5×10.4㎝/2006年頃/滋賀県立美術館蔵
黒の部分は、もとのチラシにあった色=部分。それが絶妙に生かされたバランスになっている、そう思いませんか?
写真➋
【無題】7.4×11.6㎝/2009~12年頃/滋賀県立美術館蔵
櫛の歯部分の左端は「まっすぐ」だけれど右端はゆるい弧を描いています。生きものにも見えるのはきっとそのせい。
転機は小学生のとき
実は藤岡にも、切り絵をつくっていた時期がありました。2歳くらいの頃から紙をちぎったりするのが好きだった彼がはさみに出会ったのは6歳くらいの頃。よほど相性がよかったのでしょう。家の中にある紙を何時間も切り続けるようになり、やがてそれは、抽象的な形の切り絵と呼べるようなものとなったのでした(写真❸)。その形がとてもユニークだったので、小学校2年生のときには、熊本養護学校(現:熊本支援学校)の先生ができあがったものを額装するようになります。
そして、運命のときが訪れます。熊本市現代美術館学芸課長(当時)の南嶌 宏(故人)が同校を訪れた際に、壁にかけてある切り絵を見て驚き、同館の開館記念展「ATTITUDE 2002」への出品を依頼したのでした。小学生が、現代美術館の企画展に出品作家として参加するなんて、少なくとも私は聞いたことがありません。
写真❸
切り絵のポストカード
14.8×10㎝/2003年
先が曲がっているからとじ針か? 太い左は曲がってしまった杭にも見える。太さが全然違うのは、遠近感の表現なのかも?
制作中の藤岡。
(撮影:高橋マナミ/画像提供:(一財)日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS)
机の上にはペットボトルやドレッシングボトルが。制作の合間には、お茶を飲んだりアイスを食べたりするリラックスタイムが不可欠。一時期は、つくり始める前に、納豆に焼肉のたれをかけたうえで一気に食べるのが習慣だったこともあったよう。手前の椅子も欠かせない存在で、紙を切る際、また、紙を見ながらどう切ろうかと思案している際、それを足で前後左右に器用に動かすのでした。
両親の支え
櫛の歯状の作品をつくり始めたのは、2001年頃、つまり小学校4年生くらいの頃だったようです(写真❹)。おもしろいのは、制作にあるルールがあること。柄ともいうべき部分をよく見てください。斜めに切り込みがあるのがわかるでしょうか。実はこれ、藤岡による制作終了のしるしなのです。集中して櫛の歯を切った後、櫛の歯とは別の場所をぱつんと切って、それでおしまい。これまで丹精を込めて切っていたはずの「作品」が手から離れて床に落ちるのも気にせず、すっとどこかに行ってしまうのです。
実は彼は自閉症です。それゆえ、制作意図について、音声言語を介したコミュニケーションに基づき確認することはできません。つまり、先ほど私が紹介したような、いつ頃つくり始めたかとか、どのようにつくっているかについては、彼とともに暮らしてきたご両親から聞いています。彼らが、息子の行為に敬意を抱き、そこから生み出されたものを大切に思い、きちんと保管して、展覧会に快く貸し出したりしてくれるからこそ、私たちは、藤岡の創造力の幅の広大さを感じ取ることができるのです。そして、人間の「つくる」という力の奥深さに思いを至らしめることができるのです。この連載では、そんな作品を皆様に紹介していきたいと考えています。
藤岡 祐機(ふじおか・ゆうき)
1993年熊本県生まれ。
保坂 健二朗(ほさか・けんじろう)
滋賀県立美術館ディレクター(館長)
1976年茨城県生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。東京国立近代美術館主任研究員を経て現職。著書に『アール・ブリュット アート日本』(監修、平凡社)など。滋賀県立美術館では「人間の才能 生みだすことと生きること」展(2022年)を企画。
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