美術鑑賞を楽しむ6つの手がかり
2015年1月22日 更新
「作品の見方に自信がない」――そのような声をよく聞きます。しかし、美術は本来自由なもの。難しく考えず、自分の見方で自由に鑑賞したいものです。本コーナーでは、光村図書中学校・高等学校『美術』教科書の著者を務める上野行一先生に、美術鑑賞を楽しむ手がかりをご紹介いただきます。
「美術作品を鑑賞するのが苦手だ」「自信がない」という声をよく聞きます。美術館に行くと、作品に添えられた名札や図録の説明を読むのに余念がない人や、音声ガイドの解説に耳を傾けながらギャラリーを移動する人々が目につきます。目の前に本物があるというのに、なぜもっと貪欲に自分の目で見ようとしないのでしょうか。
知人の数学者が私にこう語ったことがあります。
「オランジュリー美術館で見たモネの《睡蓮》は素晴らしかった。部屋に入ったとたん、あまりの美しさに言葉をなくしたよ。本当に睡蓮に囲まれているような気分がして最高だった」と。
彼は《睡蓮》を見てその美しさ、その雰囲気に浸っていたのです。このような態度で絵や彫刻に向き合う人も少なくないでしょう。確かに、美しいものを見て息をのみ、陶酔するのは美術鑑賞の醍醐味のひとつです。しかし美術作品は美しいものばかりではありません。悲惨な情景を描いた作品もあれば、感動や陶酔を拒絶するような現代アート作品もたくさんあります。そのような作品については途方に暮れて「わからない」とあきらめるか、解説に救いを求めることになります。これではいつまでたっても苦手意識はなくなりません。
このコーナーでは、美術作品のうち主に絵を鑑賞し楽しむ手がかりをいくつか紹介します。今回は子どもの絵の見方からそのヒントを見つけてみましょう。
絵のどこを探してもかえるは見つかりませんね。それも道理で、この絵にはかえるなど描かれていないからです。子どもの発言をいぶかしく思った美術館の職員が、「えっ、どこに?」とたずねてみると、男の子は「いま水にもぐっているよ」と答えたということでした。
この子には描かれていないものも見えている。素敵なことではありませんか。この子は想像力を働かせて自分なりにこの名作を鑑賞していたのです。数学者の見方とは対照的な見方です。絵をしっかりと見ること、そして描かれているものについて想像力を働かせること。鑑賞はそこから始まります。
対話による美術鑑賞の決定版!
『風神雷神はなぜ笑っているのか 対話による鑑賞完全講座』 (上野行一 著)
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