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第2回 多国籍時代の学校

多様性を尊重し合う学校づくり

2023年3月28日 更新

熊谷 茂樹 前 埼玉県川口市立朝日東小学校長

一人一人の多様性を尊重し、生かす――そうした学校づくりに長く取り組んできた筆者が、これまでのエピソードをつづります。

第2回 多国籍時代の学校

300人規模の小学校へ校長として赴任したときのことだ。40名強が外国籍の児童だと聞いていた。特にクルドの子どもたちが圧倒的に多かった。「国籍が違ったとしても、子どもどうしは一緒に遊んで仲よくなるのだろう」という私の考えは、すぐに打ち砕かれた。甘かった。休み時間のサッカーでは別々に遊び、交わることはなかった。毎日のように子どもどうしの諍いが起きた。背景には、大人どうしの根強い確執があった。他民族を受け入れられない保護者がいた。「共生」「多様性」という言葉は、頭の上を通り過ぎるだけであった。

4月当初から校長室の扉は開放し、いつでも子どもが入れるようにした。教室でパニックを起こしかけた子どもがやって来て、私の机の下に潜り込んでクールダウンするのを日常にした。クルドの子どもたちもよく顔を出した。彼らは日本で生まれたが、クルドの言葉で育ったため日本語は拙い。それでもいろいろなことを話してくれた。中学校に進学すると不登校になり、父親に連れられて建築や解体の現場で働く男児や、十代半ばで結婚して学びの機会を失う女児。そういう子が少なからずいた。これもすべて校長室に来るクルドの子どもたちから教わった。

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日本語指導教室の担当は実に優れた教師であった。子どもたちの厳しい現実を職員に説いてくれた。担任陣は子どもたちを平等に扱い、あの手この手で子どもたちを関わらせた。うまく言えないが、子どもたちの間にじわじわと温かい雰囲気が生まれた。
当時のPTA会長のOさんがすばらしい方だった。草の根で、日本人とクルド人の架け橋を買って出た人物であった。それまでPTA活動に参加しなかったクルドの保護者たちに働きかけ、校庭の石拾いを依頼した。PTAのバザーでは、ケバブの出店を許可した。店主の保護者が慣れない日本語で「校長先生、サービスね」と言って、肉がたっぷり入ったケバブをくださった。実に旨かった。それでも根っこにある「壁」は崩せなかった。どんな理念をもとうが、壁は固く厚かった。何度も心が折れかけた。

雪が降った日のことである。職員総出で朝から雪かきをした。降り続く雪を浴びながら、私もスコップを持って子どもが通る道の雪かきをした。ふと雪がやんだような気がした。振り返ると、クルドの男の子が私に傘を差しかけてくれていた。自分は雪まみれである。にこにこ微笑みながら、ぐいっと傘を差し出す彼を抱きしめた。「ありがとう。ありがとう」と言いながら泣いた。そうか、これだ、こういうことだ。何がこういうことかわからないが、「希望はある」と思った。思ったら、また泣けた。

Illustration: こやまもえ 

熊谷 茂樹(くまがい・しげき)

前 埼玉県川口市立朝日東小学校長

1961年生まれ。埼玉県特別活動研究会顧問。埼玉県蕨市・川口市の公立中学校教諭を経て、2005年、川口市教育委員会 指導課指導主事として、国語・特別活動を担当。その後、川口市の公立小・中学校にて教頭、校長を務め、2022年3月に退職。現在、川口市の公立小学校にて初任者研修指導教官を務める。埼玉県内外にて、国語・特別活動・学級経営に関する指導を行う。教育総合誌「教育総合技術」(小学館)で連載「今月の学校経営」を執筆。

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