読書Q&A 学校図書館(理論編)
2015年1月1日 更新
赤木かん子 児童文学評論家
どうすれば子どもたちが集まる図書館になるのでしょう。本のそろえ方や整理のしかたなど、学校図書館の作り方や運営方法に関する悩みにお答えします。
A(回答)
まず、いちばん根本的なことですが、司書というのは、データを人々に提供するのが仕事です。そのために、えいえいと資料を集め、保管し、分類整理して、欲しい人が探し出せるようにセットしておき、必要なときには探し出す手伝いをする、というのが本来の司書の仕事です。そのデータを使って、お客さんがそれをどう考えるかは司書が口を出すことではない、というのが一応の基本姿勢です。ですから、お客さんが欲しい、見たい、読みたい、というものは、草の根分けても探し出すべき!というのが、まあ、司書の基本姿勢だ、ということになります。
けれどもその相手が子どもだというときは、“相手の子どもを傷つけないために”いろいろなことを手加減しなければいけません。ですから有害サイトをカットしたりもするわけですが、それはあくまで“子どもを守るために”なわけです。
さて…そこで、問題です。
子どもに漫画を読ませないのは、子どもを守ることになるんだろうか?
もちろん、それは子どもを守るためではなく、子どもが漫画を読んでいると不愉快になる、大人を守るためですね。
よく、「日本では漫画をいい年をした大人が読んでいて驚いた。」という外国人の話がありますが、アメリカには、漫画は『スパイダーマン』や『バットマン』のようなものしかないのです。日本が生み出した、複雑なストーリー漫画は、日本独特のものです。そりゃ、大人が『スパイダーマン』しか読んでなかったら驚きですが、日本の漫画はそういうわけで、極上品からくだらないものまで、ものすごくレベルに差があるので、少なくともここ30年ほどは日本の現代小説のトップは、ほぼ漫画です。今の日本では極上品は漫画の中にあるのです。
そりゃ、ごく限られた分野では例外があります。たとえば時代小説は、まだ活字に勝てません。現代だけを見れば『バガボンド』は今量産されている二流の時代小説に楽々勝ちますが、これ一作だけで、やはり山田風太郎と池波正太郎を凌駕するわけにはいきません。でも、普通の現代小説を考えたら、漫画をカットして文学論はできないでしょう。
むしろ、漫画はあまりにも難しくなりすぎた…今は漫画は弱くなり、活字全盛ですが、その活字はなんというか、軽い、底の浅い含みのないものが大部分なわけですから。ですから、子どもたちに“上質の現代文学”を渡そうと思えば、当然、半分以上漫画になってしまいます。『ドラゴンボール』に勝てる活字の作品は僅少ですから。
そうして漫画に顔をしかめる方たちが普通薦めてくるのは、もう子どもたちには読むのが困難になった、昭和の名作ですが、そういうものはいわば“古典”です。漫画だって、たとえば手塚治虫の『宝島』あたりは、いや、もう『鉄腕アトム』ですら、すでに読むのは困難になりつつあります。漫画であれ、活字であれ"古典"は読める人が限られます。たとえ漫画でも古くなったものは読めないのです。
そういうわけで、「漫画は優れた文学ジャンルか。」と聞かれれば、そうです。なにせ、創始者は手塚治虫ですよ?でも、それを学校図書館に置けるか、ということになると、その学校にいる先生方がどのような考え方であるか、にかかってきます。学校図書館にどんな漫画を置くとよいのか、また、漫画を置いた場合の運営のしかたなどについては、また次回紹介しますね。
赤木かん子
児童文学評論家。長野県松本市生まれ。1984年に、子どものころに読んでタイトルや作者名を忘れてしまった本を探し出す「本の探偵」として本の世界にデビュー。以来、子どもの本や文化の紹介、ミステリーの紹介、書評などで活躍している。主な著書に『読書力アップ!学校図書館のつくり方』(光村図書)などがある。