下村 健一(ジャーナリスト)
2014年8月1日 更新
下村 健一 ジャーナリスト
このコーナーでは、教科書教材の作者や筆者をゲストに迎え、お話を伺います。教材にまつわるお話や日頃から感じておられることなどを、先生方や子どもたちへのメッセージとして、語っていただきます。
下村さんは、法学部の政治コースを卒業されています。もともと、政治に関心をおもちだったんですか。
ええ、政治には興味がありました。でも、最初の頃は、政治コースじゃない友達とは、政治の話なんかしたことありませんでしたよ。「えー、政治の話?」っていう雰囲気になってしまいますから。
そんな大学3年頃のことです。当時、住んでいたのは東京都町田市でしたが、ちょうど町田市会議員選挙の直前だった。自転車がパンクしましてね。修理に向かう途中、掲示板か何かに貼り出された小さな貼り紙が目に留まったんです。それは、町田市議選のある候補者と学生が語り合うという会のお知らせでした。
「こういうところに来るのは、どんな学生なんだろう」。まず思ったのはそのことでした。「学生」という言葉に心をひかれたんです。
それで、その場ですぐに日時や場所をメモして、当日、行ってみたんです。そうしたら……会場にいたのは、候補者とその秘書の二人だけ。「よく来てくれた」と迎えてくれて。どんな人が集まるのかと思って行ったのに、結果、候補者とマンツーマンで話をすることになりました(笑)。
自転車のパンクに導かれた感じですね。
本当にそうです。実際、候補者からマンツーマンで聞いた話は非常におもしろかった。「市民参加で政治をつくっていく」ってことを言っている人でね。僕はそのスタイルに興味が湧き、その後どんどん友達を誘って、そういう議員たちが集まる政策集団のようなところで手伝いをするようになったんです。
市民参加を理想に掲げ、組織選挙でなくカンパやボランティアの力によって当選してきた議員って、市議会や区議会ではみんなだいたい一匹オオカミなんです。一人では視察旅行をするのも難しい。だから、市や区の垣根を越えてそういう「市民派」の議員たちで集まり、新しい政策を始めた自治体を見に行くようなことをしていました。僕は、資料を集めたり、視察のときに議員たちを乗せた車を運転したりと手伝いながら、おもしろいなと思うようになりました。
そのまま政治の世界へ進まれなかったのはなぜでしょうか。
あの頃、自分はたぶん政治家になるんだろうなと考えていました。ただ、その前に、一度は一般の企業に就職して、普通の人の生活というものを経験しなければ、「永田町文化」しか知らないのではまずいという思いがありました。
僕は大学に5年間いたんですが(笑)、大学4年のとき、うちの前をちり紙交換の車が通りかかったんです。古新聞を持っていってもらおうと、慌てて束ねていたら、束のいちばん上の面にあった小さな記事が目についた。そこに書かれていたのは「町田市民テレビ 開局準備室オープン」という言葉でした。瞬間的に思いましたね。「市民テレビって、いったい何だ!?」と。
読むと、記事の内容は、町田に都市型ケーブルテレビを開設するための準備室ができるというものでした。まだCATVが普及していなかった時代でしたから、都市型ケーブルテレビの第1号を目ざすんだ、と。僕はもともと、特定の人々を対象として発信される「ミニコミ」に興味がありました。市民テレビは、そのことと、それからずっと関わってきた「市民参加」とが結び付いた形です。もうこれは行くしかない。ちり紙交換の音が遠ざかっていくなか、開局準備室に電話をしました。「町田に住んでいる学生ですが、今からちょっと行きますから」って。
今度もまた、思わぬところにきっかけがあったのですね。
そうなんです。電話を切ると、すぐさま、例の自転車で開局準備室へ行きました。そこにいたのは、町田市役所企画部長を辞して開局に熱い思いをかけているおじさんと、受付のお姉さんの二人。またもや、「よく来てくれた」と迎えてくれて。
そこから1年間、ほとんど学校に行かず(笑)、マーケティングリサーチやら取材やら、テレビ局ができるまでの仕事をひと通り手伝いました。開局は、僕が大学を卒業する3月の予定だったため、実は、卒業後は正社員第1号として、そのまま就職させてもらおうともくろんでいたんです。これはもう“お導き”だと。
ところが、大学5年の夏を迎えたとき、そのおじさんから「下村君、悪いけど、開局がちょっと延びることになった」と告げられたんです。開局までにあと1年かかる。開局しなければ正社員は雇えないんだと。僕は、卒業を半年後に控えた夏に、いきなり他の就職先を探さなければならなくなりました。
さて、どうしようかなと辺りを見回したら、準備室発足から1年の間に集まってきた、いろいろな企業からの出向の人たちの存在に気づいて……。「ああそうだ、この中の企業のどこかに入って出向で来ればいいんだ」と思いついた。それで、その人たちのすすめもあって、TBSの採用試験を受けることにしました。
TBS入社までに、このようないきさつがあったとは知りませんでした。
自転車がパンクしていなかったら、実際の政治の世界との接点はなかったし、ちり紙交換が来ていなかったらTBSに入ろうと思うこともなかった。首相官邸で働くことも、メディアでの体験を踏まえて「想像力のスイッチを入れよう」を書くこともなかったし、このインタビューを受けることもなかったはずです。そのときそのときで風向きが変わってくる。いいかげんなもんです(笑)。その後も、紆余曲折あって、結局、町田市民テレビ開局にはボランティアとして関わり、僕は報道アナウンサーになったわけですからね。
でも、人生、こんなもんかなとも思います。いつどこに、見えないドアがあるかわからない。だから、僕はいつもみんなに「絶対にノックしたほうがいいよ」って言っているんです。知らないうちに通り過ぎているドアはいっぱいありますよ、きっと。
Photo: Shunsuke Suzuki
小学校国語5年「想像力のスイッチを入れよう」
下村 健一 [しもむら・けんいち]
1960年、東京都生まれ。東京大学法学部政治コース卒業。1985年TBSに入社、報道局アナウンス班に所属。現場取材、リポーター、キャスターとして、「スペースJ」「ビッグモーニング」などで活躍。1999年TBSを依願退社。以後、TBSテレビ「筑紫哲也 NEWS23」「みのもんたのサタデーずばッと」等に出演を続けるいっぽう、市民グループや学生、子どもたちなどのメディア制作を支援する市民メディア・アドバイザーとして活動。2010年秋から2年半、民主・自民の3政権で内閣官房審議官等として総理官邸の情報発信を担う。東京大学客員助教授、慶應義塾大学特別招聘教授、関西大学特任教授などを経て、現在は白鴎大学特任教授。令和メディア研究所主宰。インターネットメディア協会理事。著書に『窓をひろげて考えよう』(かもがわ出版)、『想像力のスイッチを入れよう』(講談社)、『答えはひとつじゃない!想像力スイッチ1~3』(汐文社)など。 ※プロフィールは、2021年1月現在の情報です。
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