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第2回 春の言葉に心が温まる瞬間

天気と言葉とわたしたち

2026年4月22日 更新

長谷部 愛 気象予報士

気象予報士としての知識や経験をもとに、天気や自然現象を表す言葉にうつし出される人々の感性や文化、ものの見方・考え方などを紹介していただきます。

第2回 春の言葉に心が温まる瞬間

長年花粉症の私にとって、春は手放しで喜べる季節ではなくなってしまいました。ただ、鼻をすすりながらも天気予報を伝えるときに心が不思議と軽くなることがあります。それは、春を表す「天気の言葉」を使うとき。とても美しく、慈愛に満ちているのです。

二十四節気でいえば3月上旬の「啓蟄(けいちつ)」。土の中で冬眠していた虫たちが、春の暖かさに誘われてはい出てくる頃を意味します。おもしろいのは、春の晴れた暖かな日に街へ繰り出すと、駅前や公園には、冬の間には見かけなかったほど多くの人があふれかえっていることです。分厚いコートを脱ぎ捨て、うきうきと街を歩く人々の姿を見ていると、「私を含めて、人間もまた虫の仲間であり、自然の一部なのだな」ということを強く実感します。啓蟄という言葉には、冬を越え、春を待ち望む生き物たちの本能的な喜びが詰まっていると感じるのです。

4月に入り、万物が清らかに光り輝く「清明(せいめい)」を迎えると、空気が変わります。それを象徴するのが、二十四節気よりさらに細かい七十二候の一つ「虹始見(にじはじめてあらわる)」。冬の乾燥した風が去り、空気が湿り気を帯び始め、雨上がりの柔らかな光の中に、今年初めての虹が架かっていく。春という季節が「光」と「水」の調和によってできていることを感じさせてくれます。

また、春の言葉には「曖昧さ」をめでる日本独特の感性が特に光っています。「麗らか(うららか)」や「春霞(はるがすみ)」、「朧月(おぼろづき)」、そして桜の時季の曇天を指す「花曇り(はなぐもり)」。輪郭がぼんやりと霞んだ風景に情緒を感じるのは、白黒はっきりしたものだけではなく、曖昧さに美しさを感じる日本ならではの美学でしょう。私は、特に「花曇り」という言葉が好きで、よく口にします。真っ青な空に映える花々ももちろん美しいのですが、薄曇りの柔らかな光の下では、桜の花そのものがもつ繊細な淡い薄紅色が、ふわっと浮かび上がります。まぶしすぎない空が、主役である花の色を最も引き立ててくれるのです。どんよりとした曇り空さえも、花と合わせることで「一興」として受け入れる言葉の豊かさがあります。

近年、春の訪れは早まり、気づけば初夏のような暑さに追い越されてしまうことも増えています。季節の境界線が曖昧になる中で、こうした豊かな言葉が与えてくれる「季節の情景」を、丁寧にすくい上げ、めでていきたい気持ちが強くなりました。言葉を通じて季節の微細な変化に耳を澄ませる。そんな心の余裕だけは、失わずにいたい。移ろいゆく空の表情に美しい名前をつけ、めでてきた文化をしみじみと感じ、これからも長く続くことを願う近頃の春です。

タイトル画像: 長谷部 愛

長谷部 愛(はせべ・あい)

気象予報士

気象予報士、東京造形大学非常勤講師。1981年神奈川県生まれ。信州大学教育学部卒業。テレビ・ラジオ局員として、番組制作・キャスター・リポーターを経験後、2012年に気象予報士資格を取得。翌年からTBSラジオ、Yahoo!天気・災害動画などに出演。2018年から東京造形大学で教鞭を執る。著書に、『天気でよみとく名画』(中央公論新社)など。

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