「飛ぶ教室」のご紹介
2015年12月17日 更新
「飛ぶ教室」編集部 光村図書出版
児童文学の総合誌「飛ぶ教室」に関連した企画をご紹介していきます。
スペシャル鼎談「微妙な歩幅」 せきしろ × 又吉直樹 × 金原瑞人
「飛ぶ教室」44号(2016年1月25日発売)は、特別編集長シリーズ第3弾。翻訳家・金原瑞人さんを、編集長に迎えました。
金原編集長が特集として取り上げたのは、なんと詩と短歌と俳句。その名も「えっ、詩? いや、短歌! それとも俳句?」。個性溢れる9名の新作に、編集長の好奇心いっぱいのインタビューも掲載です。
今回はその中から、著書『カキフライが無いなら来なかった』で自由律俳句を世に広めた、せきしろさん(文筆家/写真右)と又吉直樹さん(芸人/写真中央)へのインタビューをご紹介します。
自由律俳句を知った時の衝撃
金原 せきしろさんは、高校の時に国語便覧が好きで、そこで知った自由律俳句に興味をもった。やがてご自身でも俳句を作り始めたんですよね。その間に何があったんですか?
せきしろ 僕に何があったかですか?(笑)。僕はもともと俳句が好きだったんです。定型の俳句です。うちの祖母もやっていまして。
金原 そういう土壌があったんですね。
せきしろ はい。だから「歳時記」がいつもそばにあって、それを読んでいました。そんな中で、便覧で自由律俳句を知ったんですが、あの時の衝撃はすごかった。「何でもいいんだ」って。だからと言って、そこからすぐに何かを始めたわけじゃないんです。尾崎放哉や種田山頭火の自由律俳句を読んだぐらいです。意識的に、自由律俳句を作ろうと考えたのは、ずっと後です。
金原 いつ頃ですか?
せきしろ 30代ですかね。もう15、6年前です。
金原 一人でこつこつ作って、誰にも教えずに?
せきしろ 誰にも言わなかったですね。
金原 又吉さんに目が行くのは、いつ頃ですか?
せきしろ 2007年頃ですかね。又吉君が書いた句を初めて読んだ時には、なんか波長が合うというか、基本が一緒な感じがしました。
金原 又吉さんから初めて送られて来た俳句は何句ぐらいあったんですか?
せきしろ 100句ぐらいあった気がします。
金原 100句も!?
又吉 俳句になっていたかどうか分からないですけど、そういうのを考えるのが好きなんで。
それは、あの時、始まった
金原 又吉さんの自由律俳句との出会いは?
又吉 せきしろさんに教えてもらったんです。せきしろさんはいつもそうなんですけど、自分で答えをもっていながら、僕が何やりたいか聞いてくれるんです。その時も、「短歌とか俳句は好きですか」みたいなところから入って、「読むのは好きですけど、作ったこともないですし、知識もないです」みたいな話をしていたんですよね。
金原 どこで?
せきしろ 新宿だった気がします。
又吉 新宿の居酒屋でしたね。
せきしろ 「海峡」。
又吉 そこまで覚えてなかった(笑)。
せきしろ (笑)。違うかもしれないです。
又吉 その時の僕が知っていることと言ったら、長さくらいなもので。「短歌と俳句って長さちゃいますよね」とか、「短歌、長ないですか。俳句もちょっと長ないですか」とか言ってたんです。そうしたら、せきしろさんが「自由律俳句がある」と。そこから自由律俳句について話していたんですが、僕がふと「カキフライが無いなら来なかった」ってつぶやいたら、急にせきしろさんが「そういうのだよ!」って(笑)。
せきしろ (笑)。そうだったかもしれないです。
又吉 これは楽しいと思って、家に帰った後、一気に作って送ったんやと思います。
続きは、「飛ぶ教室」44号(1月25日発行)で!