「飛ぶ教室」のご紹介
2018年4月27日 更新
「飛ぶ教室」編集部 光村図書出版
児童文学の総合誌「飛ぶ教室」に関連した企画をご紹介していきます。
スペシャル対談「『往復短歌』の舞台裏」服部真里子×木下龍也 [前編]
「飛ぶ教室」第53号の特集は「『好き』の気持ち」。この特集にちなんで歌人の服部真里子さんと木下龍也さんに、“高校生の恋”をテーマに短歌をおくりあっていただきました。前編は、往復短歌について、を中心にお二人に伺います。
双方向のやりとりが楽しかった「往復短歌」
今回創作いただいた往復短歌は“恋”がメインテーマでした。高校生の男女という設定でやりとりする形式でしたが、依頼があったとき、どのように思いましたか?
服部 短歌は相聞歌(恋の歌)というジャンルがあるぐらいなので、表現しやすいテーマかもと。自分自身、特に相聞歌の気持ちの高ぶり方が好きなんですよ。今回はやりとりする形式だったので、双方向の刺激がある分、一人で作るのとはまた違った盛り上がり方ができるのでは、とわくわくしました。
木下 普段は一人で書いているので、自分一人だけで完結できるんです。なので、そこに他者を入れることに不安もありました。でも、一方で、自分の中からどんな返歌が生まれるのか楽しみな部分もあって……。で、実際やってみたら、楽しかったです。
10日間で1往復のやりとりをする形で約1か月半、続けていただきましたが、お互いに刺激になったこと、考えたことがありましたら教えてください。
木下 服部さんは、ぼくの作り方に寄せて書いてくれたと思いますよ。
服部 初めは、自分の作り方を守って木下さんに寄せたりしないほうがいいだろうなと思っていたんですよね。普段書かないような書き方をすると、その書き方で普段から書いている方の作品には絶対に及ばないので。でも、やっているうちに、なぜかそれは貫けなかったんですよね……。
木下 それは、服部さんが折れてくれたんじゃ(笑)?高校生のころって“恋”は大きなテーマなので、そこに高校生という読者がいると意識したときに、わかりやすさを優先したいという気持ちが勝ったというか。
服部 そうですね。あと、高校生という設定だったんですが、自分流に書いてみたら、ちょっと気持ち悪かったんですよね。「高校生、こんなこと言わないわ」って。
木下 高校生のころって、オブラートに包まない。むきだしの気持ちを相手にぶつける。今の自分が高校生の歌を作ろうとすると、言い方がストレートにならない分、逆に高校生らしくなくなるのかも。
服部 自分が高校生だったころは、もうちょっと粗野だった気がして。なのに、短歌を作ってみたら、妙に解像度が高くて、きめ細やかな表現になってしまった。それが気持ち悪かったんですね。だから、その解像度を落としていく、ということをしたので普段と違う感じになったのかな。それと、相手がいるってことは言葉のキャッチボールだから、ボールを投げやすいように、高さをそろえたっていうこともありますね。
木下さんは普段と勝手が違いましたか?
木下 ぼくは、第1往復で、服部さんの歌を見たとき、ああ、こんな波長で作っていけばいいんだ、ってわかりました。なので、服部さんの歌の言葉を使って返答していった感じです。
服部 木下さんも、わたしの作り方に寄せてくださった部分もあったと思うんです。でも、そこまでスタイルを変えないまま、ちゃんときれいに歌を返してくれて、あらためて木下さんの底力を感じました。
書くときは、読者を意識して書く
普段はどんなときに歌をよむのでしょうか? 自分の気持ちを表現したいときですか?
服部 短歌を作るって、自分を表現すると思われがちなんですけど、わたしの場合、自分のことを表現しようと思って歌を作ることはないです。最終的にできた歌に自分が出るかもしれないけれど、それは結果的にそうなったという感じで。自分の気持ちを出すことを目指しているわけではないんです。
普段は、自分でテーマを考えて、今日はこれを書こうと思って書くことのほうが多いですね。
編集部でも短歌を作ってみたのですが、自分の気持ちを表す形のものになりました。作って満足。わりと机の引き出しにそーっとしまっておきたい感じでした。依頼されて書かれる場合と、自分発信のものの違いは、どんなところにありますか?
木下 テーマをもらうと、そのテーマと自分の間に距離を置ける。自分の中から見つけて書くとなると、自分と短歌の距離が近い分、恥ずかしくてだれかに見せたいという気持ちも起こりにくくなるかもしれません。いずれにしても、ぼくは、だれかに見せないなら、歌は書かないですね。いつも読者を意識して書いています。
服部 わたしも木下さんと同じで、読者を意識していますね。わたしが感じる美しさが読者に届けばいいと思っています。一方で、作品は手を離れてしまうと、自分のものではなくなるので、自分が想像したものと違うものを読者に見つけてもらっても嬉しいです。
想像してもらうというと、今回の往復短歌の最後は、ハッピーエンドか、バッドエンドかわからないような1首をおきました。読者が読むことによって、その人の過去の恋愛経験とかに結び付いて、作品が完成していくといいなと思っています。
私自身はやったことがないのですが、自分のために短歌を作るのも、短歌の重要なあり方のひとつだと思っていて、自分が考えていることや気持ちを五・七・五・七・七の形にすると客観的に見られるし、形があると作りやすいかなと思います。
木下 短歌をやっている人はナイーブな人と思われがちなんですけど、基本的に鈍感なんじゃないかと。本当にナイーブな人だったら、自分の作品がどう伝わるのか、完全には把握できないから怖いという気持ちがあると思うので、ある程度鈍感じゃないと世の中には出せないと思います。
ぼくも短歌をはじめたころ、自分の気持ちの整理をつけようと、自分の中のストックを削る気持ちで書いていたんですよ。でも、書いているうちに、ストック分は使い果たして、今は、外部にネタを取りに行って、それをまた自分の貯蔵庫にストックして書いている感じですね。
服部 わたしの場合は、貯蔵庫にストックしておいてあるものを出すというよりは、周りに木の実や果物があるからそれを摘み取って、それを料理しているという感覚です。この食材とこの食材を掛け合わせたらどうだろう、そういうふうに歌を作っています。
服部真里子(はっとり・まりこ)
1987年横浜市生まれ。歌人。2006年早稲田短歌会入会、作歌を始める。歌集『行け広野へと』(本阿弥書店)。「飛ぶ教室」44号に「海痩せて」を寄稿。未来短歌会所属。
木下龍也(きのした・たつや)
1988年山口県生まれ。歌人。歌集『つむじ風、ここにあります』『きみを嫌いな奴はクズだよ』。岡野大嗣との共著に『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』。
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