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『今日も誰かの誕生日』刊行記念 二宮敦人インタビュー【前編】

今日も誰かの誕生日

2024年12月6日 更新

光村図書 出版課

ある日の誰かの誕生日を描いた、心揺さぶる短編集『今日も誰かの誕生日』に関する情報をお届けします。

児童文学総合誌「飛ぶ教室」で連載された短編小説「今日も誰かの誕生日」が単行本になりました。作品への思い・執筆の原動力について、作者の二宮敦人さんにお話を伺いました。前編・後編に渡ってお送りします。

「今日も誰かの誕生日」書影/二宮敦人さん

なんで誕生日を祝うんだろう

連載をお願いしたとき、編集部から「誕生日をテーマに」と提案しましたが、二宮さんにとって誕生日はどんなものでしたか?

二宮:

昔から誕生日は不思議だと思っていました。自分の誕生日って嬉しいものですけど、ただの一年の中の一日なんですよね。そこにあえて意味をもたせて、毎年祝う。なんで人間はそんなことをするのだろう、って。でも、その幻想にみんなが参加して、幼稚園や小学校ではお祝い会をしたりもする。だから誕生日というテーマをもらったとき、人間のもつ何か素敵な性質、その深いところに届く作品が書けるんじゃないかって思いました。

あと、誕生日って人によって結び付くものが違いますよね。例えば、僕は梅雨の時期が誕生日なので、僕にとって誕生日は“雨”なんです。でも冬生まれの人も夏生まれの人もいるし、誕生日をケーキで祝う人も、全然違う食べ物で祝う人だっているわけで……。この間、誕生日と言えばチーズケーキ、という人に会ったんです。誕生日の朝、目覚めるとお母さんの焼くチーズケーキの匂いがして「あ、俺今日、誕生日なんだ」って思うんですって。誕生日と紐づいている経験とか、誕生日に結び付く感動的なものが千差万別で、これはいろんな話が書けるんじゃないか、とも思いました。

人によって、いろいろな感情が沸き起こりますね。二宮さんは、誕生日に何か思い出はありますか?

二宮:

僕は小さいころアトピーが激しくて、当時は食品制限の治療が主流だったので、ろくに食べられるものがなかったんですよ。ケーキやいわゆるごちそうがダメで、友達の誕生日パーティーで食べられないものがあったり、自分の誕生日ではケーキの代わりにババロアだったりして。自分は人と違うんだ、とひけ目やさみしさを感じることがありました。でも、親のありがたさも感じてたんですよ。一生懸命ババロアを作ってくれたし、大変なのにパーティーまで用意してくれたし。親への感謝の気持ちと、迷惑をかけてごめんねという気持ちが混ざり合う。そんな切ない気持ちがよみがえります。

一話ではたどりつかないテーマへ

『今日も誰かの誕生日』は全6編の連作短編集になりましたが、連載が始まるとき、二宮さんはどんな全体像を構想していましたか。

二宮:

いろんな方向から光をあてることで、何か素敵なものがあぶりだせるんじゃないかという構想が最初の段階からあって……。中高生の女の子の話を作りながら、次は男性がいいかな、お年寄りでもいいな、誕生日が嫌いな人もいるよなって考えていました。一話だけで、テーマを書ききろうとはしないようにしました。複数の話が重なりあって、「あ、誕生日っていいものだな」って思えるような。そんな一冊になればいいなと思っていました。

二宮敦人さん

個性豊かで、温かい6編がそろいましたね。

二宮:

最初の段階では、しんみりした誕生日の話も考えていたんです。死んだ両親の誕生日とか、自分に大きな影響を与えた故人の誕生日とか。実際海外だと、死んだ知人の墓に花を飾り付けて、その人の誕生日をお祝いすることがあるみたいですよ。でも、いろいろと考えていく中で外しました。

ただ、別のお仕事で取材している方の話なんですけど、その方は大学3年生で突然難病にかかって、就職も進学も諦めてくださいって言われたんですね。そこから身体的にも精神的にもつらい思いをしていく中で、それまで文学に興味なかったのに、すごく自分に刺さるようになったらしくて。カフカの『変身』みたいな、救いのない話が沁みるようになった、と。それを足掛かりに人生と折り合いをつけていくことができ、今では本の紹介を仕事の一つにしているんです。

そんな話を聞くと、ネガティブな、暗い物語もあったほうがよかったかなと思うんですよね。一方で、せっかく時間を割いて読んでもらうなら、楽しくハッピーエンドがいいんじゃないかとも感じるし……。難しいですね。

気持ちは通じる?

誕生日を祝われるのがこそばゆいという人の話(第5話)もありますね。二宮さんは誕生日を祝われるのは平気ですか?

二宮:

僕は誕生日を祝われるとすごく恥ずかしくなるんですよ。なんにもしてないのに褒められた感じがして、「いや、生まれただけだし……。」って。逆に、誰かの誕生日を祝うのは結構好きですけど、自分本位な祝い方しちゃうんですよね。相手は何が欲しいのだろうって考えれば考えるほどわかんなくなって、こうなりゃ自分が好きな物あげるしかない!って、自分があげたい物をあげちゃうんです。そのあと、あれは自己満足だったなってぐるぐる反省して……。

誕生日のお祝いって、あっさり喜んでもらえるときもあれば、どんなに考え抜いても微妙な反応が返ってくることもあって、大人になればなるほど難しいですよね。子どもの頃は何も考えずにいられたけど、大人になると誰にいくらくらいのものを渡すか、お返しはどうするか、毎年続けるのか、いろいろ探り合わねばならず、じゃあやらなくてもいいか、となったり(笑)。

だけど一方で、何も起きずに自分の誕生日が終わると寂しいですよね。何を期待していたのか、自分でもわからないですけど。そんな話を作ってもよかったかもしれません。「誰からも何もされない誕生日」……悲しすぎますかね。

「今日も誰かの誕生日」書影

よく、プレゼントはなくても、お祝いの気持ちだけでもあればいいって言われますよね。

二宮:

気持ちを伝えるのも難しいですよね。年を取るのが嫌だと思っている人もいるし、祝われたら普通は喜んでみせなきゃならないわけで、それを負担に感じる人もいるかもしれない。なかなかそこの接続はうまくいかない。それでも、多くの人が祝いたいと思うからこそ誕生日という仕組みが今もあるわけで、気持ちは通じる、そう信じていいんだっていう“灯り”になっている。自分でも書きながら改めてそう思い直しました。

登場人物みんなが素直に相手を祝おうとしていて、読んでいて温かい気持ちになりました。二宮さんは、作中で特にお気に入りのシーンってありますか。

二宮:

うーん、その日の気分によって違ってくるかもしれません。今日はインタビューされる側でリラックスしているので、最終話の、ケーキ屋の店主が店を掃除するシーンかなあ。少しふざけた感じに書いたあの雰囲気が好きです。逆に雨の日で体調が悪くて落ち込んだときは、第2話の主人公が、自分が生まれたときの話を聞いているシーンが好きです。自分の気分のグラデーションに対応して好きなシーンがあるので、読者さんに「ここが好き」と言われたら、「そこがいちばんなんです!」って返したいと思っています(笑)。

二宮さんに『今日も誰かの誕生日』第4話の冒頭部分を朗読していただきました!
YouTube「光村図書チャンネル」 作者・二宮敦人さんによる朗読『今日も誰かの誕生日』

二宮敦人(にのみや・あつと)

作家

1985年東京都生まれ。『!(ビックリマーク)』(アルファポリス)でデビュー。作品に『最後の秘境 東京藝大――天才たちのカオスな日常』『ぼくらは人間修行中――はんぶん人間、はんぶんおさる。』(以上、新潮社)、『世にも美しき数学者の日常』(幻冬舎)、「最後の医者は桜を見上げて君を想う」シリーズ、「郵便配達人花木瞳子」シリーズ(以上、TOブックス)、『サマーレスキュー 夏休みと円卓の騎士』(文藝春秋)などがある。

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