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質問4 教科になっても変わらないことは、なに?

ここが知りたいQ&A

2017年10月30日 更新

35年以上にわたり道徳教育の研究を続けてきた富岡 栄先生(麗澤大学大学院准教授)が、「特別の教科 道徳」に関するよくある疑問にお答えします。

回答:富岡 栄(麗澤大学大学院准教授)

道徳が教科となってもこれまでと変わらず、そして、これからも大切にしていくべきだと思われることは、何でしょう。

道徳の時間が特設された1958(昭和33)年より、学習指導要領には、「学校における道徳教育は学校の教育活動全体を通じて行うもの」と明記されてきました。道徳教育が教育活動全体を通じて行われることは、道徳教育の基本原理です。教育の目的は「人格の完成」を目指すことであり、人格の基盤を成すものが道徳性であることから、道徳教育が教育活動全体を通じて行われることは、首肯できる事柄です。このことは、道徳教育の特質であり、教科化になっても変わらないことです。

改正された「学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」(平成27年7月)では、「『第3章 特別の教科 道徳』の『第2 内容』は、教師と児童(生徒)が人間としてのよりよい生き方を求め、共に考え、共に語り合い、その実行に努めるための共通の課題である。」(カッコ内は中学校)と述べられています。この文章中の「共に考え、共に語り合い」の文言も道徳の時間特設以来、連綿と引き継がれてきており、道徳教育の本質を物語る大切な言葉です。道徳教育は決して押し付けではありません。ましてや、教師が価値を教え込むことでもありません。また、同解説には「特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるものと言わなければならない。」とあります。このことは、今回の改正で何度も述べられており、これまでの道徳でも基本スタンスだったはずです。道徳科では、これからも、教師も共に考え、共に語り合うことを通して、道徳的価値の把握を目指していくことに変わりはありません。

教科化は、これまでの指導法を一新して、全く別の指導方法で授業を行うということを意味しているのではなく、道徳性を育むことに効果的であったこれまでの指導方法を生かしていくことを含意しています。確かに、決まり切ったことを言わせたり、心情理解のみに偏った指導法を展開したりすることを廃し、「読み物教材の登場人物への自我関与が中心の学習」「問題解決的な学習」「道徳的行為に関する体験的な学習」等の質の高い指導方法への転換が迫られています。しかし、これまでもここでいわれていることと同質の実践や多様な指導方法で児童・生徒の道徳性を育んできた事例は数多くあります。こうした指導事例を生かし、さらに、工夫や改善を加えながら、道徳性を育むための指導方法を考究していくことが重要です。

富岡 栄(とみおか・さかえ)

麗澤大学大学院准教授。公立中学校教諭、管理職として、35年以上にわたり道徳教育の研究を続けてきた。平成27年3月、群馬県高崎市立第一中学校校長を定年退職。退職後は大学にて道徳教育に関する講座を担当。日本道徳教育学会、日本道徳教育方法学会の評議員を務める。平成27年一部改正「中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」の作成協力者の一人。

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