英語をめぐる冒険
2015年4月21日 更新
金原 瑞人 翻訳家・法政大学教授
翻訳家として、大学教授として、日々英語との関わりの中で感じるおもしろさ、難しさを綴ります。
金原瑞人(かねはら・みずひと)
1954年岡山県生まれ。翻訳家、法政大学社会学部教授。法政大学文学部英文学科卒業後、同大学院修了。訳書は児童書、一般書、ノンフィクションなど400点以上。日本にヤングアダルト(Y.A.)というジャンルを紹介。訳書に、ペック著『豚の死なない日』(白水社)、ヴォネガット著『国のない男』(NHK出版)など多数。エッセイに、『サリンジャーに、マティーニを教わった』(潮出版社)など。光村図書中学校英語教科書「COLUMBUS 21 ENGLISH COURSE」の編集委員を務める。
第2回 マララさんの自伝
“One child, one teacher, one book, one pen can change the world.”
「ひとりの子ども、ひとりの教師、1冊の本、そして1本のペンが、世界を変えるのです」
2014年のノーベル平和賞を最年少で受賞したマララ・ユスフザイさんが国連本部で行ったスピーチの一部だ。 ご存じの方も多いと思う。
2年前、そのマララさんの自伝(※)を訳したのだが、これがじつに大変だった。というのは、知らないことばかりだったからだ。生まれ育ったというスワート渓谷を知らないのはまだしも、生まれ育った国、パキスタンさえよく知らない。第2次世界大戦後、インドから分離独立したのは世界史の授業で教わっていても、インドの西だったか東だったか、そのへんはあいまいだ。西だと即答できて、さらにその西側で国境を接している国はアフガニスタンだということまで頭に入っている人でも、イランと国境を接していることまで知っている人は少ない。まして、パキスタンの公用語がウルドゥー語で、マララさんの母語がパシュトゥン語だということまで知っている人はごくごく限られている。
マララさんの自伝を訳して思ったのは、この本を日本語に訳すことによって、パキスタン、ウルドゥー語、パシュトゥン語、イスラム教、タリバンなどについて、さらにパキスタンを取り巻く世界情勢についての知識を共有する人々が増えるだろうな、ということだった。それはとても大事だと思う。
翻訳の大きな役割のひとつは、異文化の伝達だ。現代、ネットが普及し、膨大な量の情報が飛び交っているというのに、われわれの知っている世界はとても小さい。たとえば、アメリカやイギリスの新聞、雑誌、TVニュースなどを読んだり見たりすると、いかに日本のことが世界に知られていないか、いかに世界の人々が日本のことを知らないかが(日本のニュースなど、よほどのことがない限り、海外では報道されない)よくわかる。
これだけ、グローバル、グローバルといわれながらも、各文化はそれぞれの文化の中にこもったきりなのだ、これには驚くしかない。それは日本だけでなく、どの国でも同じだ。そして、そんな状況のなかで、異文化や異国のことを必死に伝えようとしているのが、翻訳家なのだ……と思ってもらえると、翻訳家という裏切り者もうれしい……かな。
- ※マララさんの自伝
『わたしはマララ 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』(学研パブリッシング)。「すべての子どもに教育を」と訴え、イスラム武装勢力に銃撃された16歳の少女・マララの手記。世界24か国で翻訳された。
Illustration: Sander Studio