方言を味わう
2023年3月24日 更新
木部暢子 人間文化研究機構 機構長
方言を研究されている木部暢子先生が、全国各地のすてきな方言をご紹介します。
第2回 「のさり」
「のさり、のさる、のさった」 。
これは長崎県から熊本県の天草、鹿児島県、そして奄美にいたる地域で使われている方言です。「のさり」は一般的に、「天からの授かりもの」「運命」「幸運」などと訳されます。「のさる、のさった」はその動詞形で「授かる、授かった」、あるいは「運がいい、運がよかった」と訳されます。しかし、地元でのニュアンスは、これとはだいぶ違っています。
例えば、宝くじに当たったときに「のさったー」、当たらなかったときに「のさらんじゃった」と言います。これは「運がよかった、運がなかった」とほぼ同じ意味です。では、漁師さんが漁に出て、大漁だったときに「のさったー」、不漁だったときに「のさらんじゃった」と言うのはどうでしょうか。「運がよかった、運がなかった」ではないでしょう。地元の人にとって魚は海からの「授かりもの」です。だとすると、漁師さんの言う「のさったー、のさらんじゃった」は、「天から授かった、授からなかった」に近いのではないかと思います。ミカンがたくさん採れたときに「今年はのさりじゃった」というのも同じです。
しかし、「のさり」の意味はそれだけではありません。
天草の方の話によると、交通事故も「のさり」、病気も「のさり」だと言います。水俣病患者だった杉本栄子さん(※1)は晩年、しきりに『水俣病はわたしののさりだ』と口にしていたといいます(※2)。ここに至るまでには壮絶な日常があったことと想像しますが、水俣病でさえ「天からの授かりもの」として受け入れるのが「のさり」なのです。
昨年7月にケンブリッジ大学の葛西順子先生が企画して、「『のさり』と『のさりの島』オンラインセミナー」が開催されました。これは、小山薫堂プロデューサー、山本起也監督の映画『のさりの島』(※3)を教材として、「のさり」について考えるというセミナーでした。
映画『のさりの島』は、オレオレ詐欺を続ける若い男が、天草の寂れた商店街に流れ着き、騙すつもりだった老女の家に孫として受け入れられ、奇妙な共同生活を送る――という物語です。映画の中では島の日常(実は若い男が加わった、それまでとは違う日常)が淡々と描かれます。何も起こらないし、若い男も何も起こさない。島に溶け込んで日常生活を送っていきます。不意の出来事を「天からの授かりもの」として受け入れるだけでなく、それを日常化してしまうことが「のさり」なのだと、この映画を見て気づかされました。
「のさり」は「天からの授かりもの」「運命」「幸運」とイコールではありません。微妙なニュアンスの違いがあります。しかし、違いは理解することが可能です。理解し合える違いがたくさんある方が文化的に豊かであると私は思いますが、いかがでしょうか。
(※1)1939(昭和14)年、水俣市の網元に生まれた。74年に水俣病患者に認定され、自らの水俣病患者としての体験を語り継いできた。2008年に死去。
(※2)参考サイト:弦書房HP内コラム"晴耕雨読" 第176回(2014/02/19)前山光則「『のさり』について」
(※3)2021年5月公開の日本映画。京都芸術大学映画学科の学生とプロが共同で映画を作るプロジェクト「北白川派」により製作された。(映画公式サイト)
木部暢子(きべ・のぶこ)
1955年福岡県生まれ。人間文化研究機構機構長。九州大学大学院文学研究科修士課程修了。博士(文学)。専門は言語学、日本語方言学。著書に『そうだったんだ日本語 じゃっで方言なおもしとか』(岩波書店)、『方言学入門』(共著、三省堂)など。