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第6回 鳥のさえずり

方言を味わう

2024年1月22日 更新

木部暢子 人間文化研究機構 機構長

方言を研究されている木部暢子先生が、全国各地のすてきな方言をご紹介します。

第6回 鳥のさえずり

前回は、「ノリツケホーセー(糊付け干せ)」と鳴くフクロウを紹介しましたが、他にも、鳥の鳴き声の聞きなしには、さまざまな方言があります。

方言による聞きなしのバリエーションが豊富なのは、時鳥(ホトトギス)です。「テッペンカケタカ(天辺掛けたか)」、「トッキョキョカキョク(特許許可局)」がよく知られていますが、その他に「ホンゾンカケタカ(本尊掛けたか)」〈新潟県、島根県、大分県、鹿児島県〉、「ホンドーカケタカ(本堂掛けたか)」〈島根県、大分県〉、「ブッキョカケタカ(仏居掛けたか)」〈長野県〉などがあります(※1)。

柳田国男『野鳥雑記』(※2)によると、これらの聞きなしには次のような物語があるといいます。

百舌(モズ)と時鳥とは古い友人であるが、百舌が唐から本尊(ほんぞん)の掛図を盗んで来たのを知って、いつも時鳥が「本尊掛けたか」と啼くゆえに、これに閉口して時鳥の啼く時期だけは、百舌は黙っている。(『野鳥雑記』131頁)

モズは、ホトトギスが鳴く5月ごろには鳴かず、ホトトギスが南へ渡った11月ごろに甲高い声で鳴くという習性をもっています。モズのこのような習性をホトトギスの鳴き声と結びつけて説いた由来話ですが、この結びつけには、ちょっと不自然なところがあります。『野鳥雑記』には、他にも次のような話が載っています。

モズはホトトギスに昔から借りがあった。それを返弁するため、蛙などを捕って枯れ枝のさきに突き刺しておく約束をした。ホトトギスはそれを催促して、今でもトッテカケタカと啼くのだ。(同132頁)

「百舌の速贄(はやにえ)」のことです。「百舌の速贄」は平安時代から歌に詠まれ、その由来についても、これと似た言い伝えがあったようです(※3)。また、ホトトギスは別名「死出(しで)の田長(たをさ)」「冥土の鳥」と呼ばれ、あの世の使者と考えられていました(※4)。おそらく、これらが混じり合って、「百舌の速贄>トッテカケタカ>ホンゾンカケタカ」のように展開していったのではないかと思われます。「本堂掛けたか」と「仏居掛けたか」は、その変化形です。

ホトトギスの鳴き声には、他に、「ホチョカケタ(包丁かけた)」〈秋田県~鹿児島県〉、「オトットコイシ(弟恋し)」〈山形県、宮城県、新潟県、長野県、大分県、熊本県、鹿児島県〉のような聞きなしがあります。これにも物語があります。

妹の掘って煮て食わせた山の薯(いも)が、あまりに旨(うま)いので、兄は邪推をして、妹はもっと旨いのを食っているだろうと思った。そうして包丁をもって妹を殺したところが、妹は鳥になってガンコ・ガンコと啼いて飛び去った。ガンコというのは薯の筋だらけの部分を言う。さてはそうだったかと悔いて、兄も鳥となり、ホチョカケタと啼いて飛び、今でも山の薯の芽を出す頃になると、昔のことを語るのだという。(同136頁)

オトットコイシでは、登場人物が兄と弟になっています。独特なのは鹿児島県志布志市の民話で、登場人物が姉の「まっちょん」、弟の「ちょげさ」という名前になり、弟が鳥になったあとの鳴き声が「マッチョンチョゲサ」になっています(※5)。おそらく、最初にホッチョカケタがあり、語り継ぐ中で、そのリズムに合わせて、マッチョン、チョゲサという固有名詞に変わっていったのではないかと思います。

全国的に分布しているホチョカケタ、オトットコイシの聞きなしは、ホトトギスが農耕の時期を告げる鳥として、人々の生活に深く根付いていたことをあらわしています。

※1 分布地域は、『日本国語大辞典』(第二版)小学館(2000~2002年)から抽出した。
※2 柳田国男『野鳥雑記』(「柳田國男全集 24」ちくま文庫、1990年)

※3 同上
※4 山口仲美『ちんちん千鳥のなく声は 日本人が聴いた鳥の声』 大修館書店(1989年)

※5 下野敏見『鹿児島ふるさとの昔話』南方新社(2006年)

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木部暢子(きべ・のぶこ)

1955年福岡県生まれ。人間文化研究機構機構長。九州大学大学院文学研究科修士課程修了。博士(文学)。専門は言語学、日本語方言学。著書に『そうだったんだ日本語 じゃっで方言なおもしとか』(岩波書店)、『方言学入門』(共著、三省堂)など。

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