教育情報誌「とことば」
2026年4月22日 更新
教室の中と外の世界をつなぐ今日的なテーマを「言葉」を切り口に追いかける教育情報誌「とことば」。
言葉のもつさまざまな側面を切り取りながら、子どもたちに言葉のもつ可能性や豊かな世界に出会わせる方法を考えていきましょう。
私たちの社会では、母語や文化が異なる多様なルーツをもつ人々がともに暮らしています。母語や文化が異なれば、同じ言葉から受け取るイメージや発想が違うこともあるものです。
では、日本語を母語としない子どもたちは、異なる言語文化の中でどのように言葉と向き合い、成長しているのでしょうか。そして、学校や周りの大人にはどのような支援ができるのでしょうか。
三つのエッセイを入り口に、学校や支援団体などへの取材を通して考えます。
コウモリ、狸、狐、そしてトイレと左手?/森山卓郎(早稲田大学教授)
今や、公立小・中・高校や特別支援学校に在籍する外国人児童・生徒は14万人近いという。多くの学校で、言語的・文化的背景が違う児童・生徒が学んでいる。国が違えば言葉だけでなく文化的背景—物事のイメージ、価値観や考え方、行動様式など—が違う。
例えば中華料理店などではコウモリの図案を見かけることがある。子どもの頃はドラキュラの中華料理か?などと思ったものだが、そうではない。中国語におけるコウモリ(蝙蝠)の発音(bianfu)が「福に変わる(変福)」という言葉に似ていることからの縁起担ぎだ。蝙蝠は逆さまにぶら下がる(蝙蝠倒)が、この「蝠倒」の発音が「福到(福が来る)」に似るという話もある。ちなみに、中華料理店で赤い紙に「福」を逆さまに貼ってあるのもよく見る。これも一般的には「福倒(福が逆さま)」の発音(fudao)が「福到」と似ることによるとされる。日本でも、お祝いの膳にタイや昆布が出されるが、「めでタイ」「よろコブ」のような発音の類似による縁起担ぎがある。
動物の捉え方にも文化による違いがある。サザエさんの4コマ漫画にこんなのがあった。ベンチの横に落ちていた千円札をマスオさんが拾おうとする。しかし、それを子どもたちが止める。実はそれは動物園の狸(たぬき)のおりの前だった、という話だ。そう、狸や狐(きつね)は葉っぱをお金にしたりする。人をだますのだ。日本語では「狐と狸の化かし合い」とか「狐につままれたよう」という言い回しもある。あるワークショップでこの漫画を示したことがあって、中国人には意味がわかったがアメリカ人にはわからなかった。『平成狸合戦ぽんぽこ』(スタジオジブリ)という映画があるが、これも狸が化けるという文化的な知識を知らない人にはわかりにくいはずだ。そもそもアメリカには「狸」そのものはいなくて、アライグマないし犬に近いものとして捉えられる(racoon dogが一般的な訳)。
狐は欧米にもいるが、ずるいというイメージである。イソップ物語の「狐とぶどう」の狐は、能力が及ばなくて負け惜しみを言う。英語には「狐みたいにずるい(sly as a fox)」という言い方がある。中国では「狐が虎の威を借る(狐假虎威)」という言い回しがある。やはりずる賢いイメージだ。
国語教材では狸も狐も出てくる。「たぬきの糸車」(小学校1年)の狸はいたずらもするが、かわいい。おかみさんとのやり取りもあたたかい。化けないが、糸車を使える。「ごんぎつね」(小学校4年)は、確かに最初はぬすっと狐だったが、独りぼっちになった兵十に栗やまつたけを持って行くようになった。ずるいというのとは違うイメージだ。
特に日本文化での狐のイメージはおもしろい。まず、狐は稲荷神社の神の使いでもある。稲荷ずしは狐が好きな油揚げのおすしだ。日本文学の伝統では、「玉藻(たまも)の前(まえ)」という妖怪狐もいるが、「信太(しのだ)の狐」の話では美女に化けた狐はそのことを知られて、子を置いて去る。「恋しくばたづね来てみよ……」という歌を残すのだが、切ない。狂言の『釣狐(つりぎつね)』では、一族を釣られた老狐が僧に化けて、猟師に対して殺生をやめるように説く。帰りに罠の誘惑に負けてしまうのだが、これも切ない話だ。日本文化での狐はずるいだけではない。「ごんぎつね」にも、こうした日本文化での「狐」観が影響しているといえば言い過ぎだろうか。「きつね=ずる賢い」というだけの「狐」の文化的イメージで「ごんぎつね」を読むとすると、そこには少し距離ができそうだ。
さて、文化の違いには生活様式もある。例えばトイレ。私が子どもの頃、家も学校も駅も、トイレはほとんどが和式だった。ちなみに私の小学校にはくみ取り式トイレがあって、4時にそのトイレに入っていると「四時婆(よじばば)」というおばあさんの手が暗闇から伸びてきて下へ引きずり込むという怪談が語られていた。現在でも和式トイレは学校でまだ見られるが、欧米人などには少し使いにくいようだ。
トイレには便器以外の違いもある。中国に行けば落とし紙を水洗で流さず、かごに入れる方式のトイレがある。ドアのないトイレもあった。インドネシアとかタイとかに行ったときには、紙がなくて、水を使って左手できれいにするというトイレがあって驚いたものだ。ちなみに、左手はそういう使い方の手ということになるので、左手で物を示したり渡したりすると失礼になる。そういう文化から来た児童・生徒に対して、親愛の思いだとしても、左手で頭をなでてあげたりするとよくない(右手ならよい)。
言葉の違いはわかりやすい。が、文化の違いはわかりにくい。そのわりに重要だ。国際化する日本。まずは文化の違いについて知ろう・わかろうとすることが大切だ。え?このタイトル、最初わからなかった、って?
森山 卓郎(もりやま・たくろう)
早稲田大学教授
京都府出身。早稲田大学文学学術院教授。専門は、日本語文法論を中心とした日本語学、語用論、言語習熟論。光村図書 小学校および中学校『国語』教科書編集委員。著書に『コミュニケーションの日本語』『日本語の〈書き〉方』『表現を味わうための日本語文法』(以上、岩波書店)、『書くことはなぜ難しいのか』(SB新書)、『明解 日本語学辞典』(三省堂/共編著)など。