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多様性と言葉 さまざまなルーツ③――言語と言語の間の数えきれないズレ

教育情報誌「とことば」

2026年4月22日 更新

教室の中と外の世界をつなぐ今日的なテーマを「言葉」を切り口に追いかける教育情報誌「とことば」。
言葉のもつさまざまな側面を切り取りながら、子どもたちに言葉のもつ可能性や豊かな世界に出会わせる方法を考えていきましょう。

私たちの社会では、母語や文化が異なる多様なルーツをもつ人々がともに暮らしています。母語や文化が異なれば、同じ言葉から受け取るイメージや発想が違うこともあるものです。
では、日本語を母語としない子どもたちは、異なる言語文化の中でどのように言葉と向き合い、成長しているのでしょうか。そして、学校や周りの大人にはどのような支援ができるのでしょうか。
三つのエッセイを入り口に、学校や支援団体などへの取材を通して考えます。

言語と言語の間の数えきれないズレ/Rita KOHL(日葡翻訳者)

私が昔、日本語の学習者であり日本文学の翻訳作品の一読者だった頃に、「日本文学の翻訳で何がいちばん難しいか」ともしきかれたら、漢字の使い方と、ブラジルに存在しないものや概念の翻訳と答えただろう。実際、自分で翻訳してみると、そういう点が難しい。例えば、縁側や玄関、こたつのように、日本の日常生活には当たり前にあるけど、ブラジルには存在しないものをポルトガル語の読者に想像させるのには苦労する。

しかし、この仕事を始めてから認識したのは、日本語とポルトガル語の翻訳で直接対応しているように見える言葉でも、日本人とブラジル人がその言葉から連想することが微妙に違う場合が多いということだ。例えば、お米。ブラジルでも白ご飯を意味するarroz brancoが食事の定番だが、この言葉でブラジル人がイメージするのは、細長いお米を玉ねぎやニンニクで炒めたパラパラのご飯である。

要するに、言葉や表現の裏にある、連想されるものの違いを意識することが文学作品を翻訳するうえでとても大事になる。例えば、セミが鳴いている場面は、日本人の誰もが「夏だ」とわかる。桜が咲く時期なら、学校の新年度が始まるという点も、日本人の間では共通の認識であるが、ブラジルではそうではない。今、私がこのエッセイを書いている1月のブラジルは真夏で、汗をかきながら執筆しているが、日本の小説で出てくる1月は冬だ。このように、地球の真反対に位置する両国間で季節の捉え方が違う。

また、土足で家に上がる行為が失礼だということをブラジル人が知らないように、日常習慣や家の構造に関する問題も多い。村田沙耶香の『コンビニ人間』では、ある人物が風呂場で寝るようになる設定があるが、ブラジルの間取りは基本的にトイレ・洗面所・浴室が一緒になっているので、ブラジル人から見ると、誰かが自分の家の浴槽に入っていたら、トイレを自由に使えなくなると思ってしまう。津島佑子の『光の領分』の主人公は、敷きっぱなしの布団を見られるのを恥ずかしがるが、布団を敷くという概念がないブラジル人読者には、その気持ちが通じるのだろうか。

このような細かいズレについて考え出すと、きりがない。翻訳者としてその数え切れない細かいズレをどう埋めるべきか。

答えは一つだけではない。私自身、最初は翻訳に関する先入観が強くて、問題ごとに自分の中で一定のルールがなければいけないと思っていたが、経験が重なるにつれて、そのような先入観は崩れていった。翻訳作業で無数の決断を行うときは、一般的なルールに基づくのではなく、その都度、判断し直す必要があると痛感したのだ。全てを文脈、すなわち、それぞれの作品の物語や文体、言葉が出てくる場面などを考慮したうえで決めなければいけない。

本エッセイで言及している問題も例外ではない。具体的な例として、日本ではおなじみの「押し入れ」の翻訳について考えてみよう。仕様は違うが、ブラジルの家にも備え付けのクローゼットがあるので、「押し入れ」がただの「洋服や布団をしまうところ」という意味合いだったら、その翻訳は難題ではない。しかし、誰かが押し入れの中で横になって寝る場面だったら、ブラジル人に対して、押し入れ特有のサイズと構造が重要な情報になる。このように何か情報を補足する必要があると判断した場合、次はそれをどうやって読者に提供するかという問題が生まれる。脚注で説明したり、形容詞を入れて少しヒントを与えたりするなど、その作品・箇所にとって何がいちばんふさわしいか判断することも、翻訳者一人一人の考えによる。

また、文化の違いによって、翻訳を大々的に見直す必要がある場合もある。最近翻訳した小説で「猫田」という登場人物が、自分のことを「ニャー兄」と呼ぶように自己紹介する場面があった。日本では、かわいらしくて親近感をもたせるあだ名と捉えられるだろう。しかし、ブラジルでは異なる。ポルトガル語で「猫」はgatoだが、ブラジルでは、「イケメン」(女性の場合は「美人」、「いい女」)という意味で誰かのことを「Gato」と呼ぶ。つまり、「ニャー兄」というあだ名を直訳したら、ニュアンスが変わってしまう。そのため、例えば、何か別のかわいい動物名を用いるなど、通常よりもかなり手を加えなければならなくなる。

このように、小説を理解して楽しむために何が大事なのか、ブラジル人読者の既成概念の傾向、また、補足が必要な場合に取る方法など、それら全てをどう考えて扱っていくかは、その翻訳者しだいである。しかし、翻訳者がたった一人でそれらに直面して決断していくわけではない。例えば、私は日本文化・日本語に関わって25年たつので、日本についてほとんど知らない読者の視点に立つのは難しい。そこで編集者などの意見がとても大事になってくるのだ。

読者ができるだけ深く作品を味わえるよう必要な補足を入れることはもちろん大切だが、それに加え、私が翻訳するときに気にしていることがある。それは、補足しすぎて脚注などの説明が頻繁に出てくると、日本文化がわかりにくいもの、または日本人がミステリアスな「他者」という印象をブラジル人読者に与えてしまう危険性があるということ。それを常に念頭に置いて翻訳している。

Rita KOHL(ヒタ・コール)

日葡(日本語・ポルトガル語)翻訳者

1984年、ブラジル・サンパウロ生まれ。現在、日葡翻訳者として活動中。サンパウロ大学卒業、東京大学大学院修士課程修了(比較文学・比較文化)。村田沙耶香、小川洋子、村上春樹、有川浩、津島佑子らの作品など多数の日本文学作品をポルトガル語に翻訳。村上春樹の作品『風の歌を聴け・1973年のピンボール』(Alfaguara、2016年)の翻訳で2017年のJabuti賞翻訳部門を受賞。

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