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第4回 学習指導要領が目指してきたこと

英語教育 温故知新

2023年7月26日 更新

米田進 秋田県教育委員会前教育長

英語教育のこれまでとこれからを、対談形式で語ります。

中学校の英語教員として3年目を迎えた中野友理香先生は、最近、生徒に英語の楽しさを伝えきれているのか不安を覚えるようになりました。恩師である米田先生に、どうしたらもっと英語の授業をより良いものにしていくことができるのか、相談しにやってきました。

中野先生の画像

中野

米田先生、ご無沙汰しております。

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米田

やあ、中野さん。元気にしていたかい? 今日は相談があると言っていたけど、学校でなにかあったのかい?

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中野

いえ、大したことではないのですが、最近ちょっとスランプといいますか、授業がうまくいかないと感じるんですよね。

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米田

中野さんは中学校で教えているよね。どんなところに悩んでいるの?

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中野

教師になって、1~2年目の頃は、とにかく準備をして、授業をして、また次の準備をして、としている間に過ぎてしまったのですが、果たしてこれで生徒のためになっているのかな、と思うようになってしまって。

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米田

なるほど。それは見方を変えれば教師としての基礎体力ができてきたとも言えるね。自分の授業を振り返ることができるようになっているのだから、教師として成長している証だよ。

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中野

そう言っていただけると嬉しいのですが、私も米田先生にご指導いただいたおかげで英語の面白さに目覚めたので、そんな教師になるにはどうすればよいのか悩んでいるところです。

米田先生の画像

米田

まぁまぁ焦らずに少しずつ経験と知識を積んでいきながら、教師として成長していけばいいさ。そうだな、せっかく来てくれたのだから、今日はちょっと特別講義の時間としようか。

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中野

ありがとうございます!

学習指導要領をどう読むか

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米田

そもそも、現行の学習指導要領はちゃんと読んでいるかい?

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中野

はい、一応目は通しています。

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米田

授業や教科書の基礎となるのは学習指導要領だから、これを「正しく理解する」のは大切だね。しかし、英語の学習指導要領というのは、常に論争を巻き起こすものでもあるんだ。私も昔は色々と悩まされてきたものだよ。

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中野

そうなんですか? 学習指導要領は英語教育のエキスパートが作っているから、きちんと従うのが当たり前だと思っていました。

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米田

もちろん、学習指導要領の作成には多くの専門家が携わっているし、それを遵守するのは大切なことだよ。しかし、当然ながら天から降ってくるものではなく、人間がその時代の状況や情勢に合わせて、ときには政治的影響も受けつつ作られていくものなんだ。学習指導要領を「正しく理解する」というのは、書かれていることを忠実に実行することを意味するだけではなく、どういう意図に基づいて書かれているのかを読み解くことでもあると思う。

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中野

そういう観点で読んだことはありませんでした。

学習指導要領(中学校)の変遷

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米田

少し歴史のおさらいになるけれど、まず、戦後最初の中学校学習指導要領は1947年(昭和22年)に試案が公表された。ここでは学習内容の大綱や指導方針が示されていた。1951年(昭和26年)の改訂では目標を「ことば」としての英語の「聞き方」「話し方」「読み方」および「書き方」という、今で言う4技能を発達させることと規定し、言語活動としての学習活動を強調している。

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中野

4技能というのはこの時代にはもう言われていたことなんですね。大学入試改革が言われ出してから強調されたのだとばかり思っていました。

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米田

あぁ、そうなんだ…。それから、1958年(昭和33年)に第2回目の改訂が行われる。ここでは「聞く・話す」「読む・書く」能力の基礎を養うこと、英語を日常的に使用している国民の文化について、その基礎的な部分を理解することを目標にしている。この時から、法的拘束力を持つものとし「官報」に告示するという形をとるようになった。

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中野

時期的には戦後の混乱期が収束して、高度成長期に入っていく頃ですね。

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米田

その次の1969年(昭和44年)の改訂では、「国際理解」が目標に加えられている。また「学習活動」に代わり「言語活動」を新たに用いている。この時の標準時間数は週3時間とされた。

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中野

ちょうどベトナム戦争の時代ですね。令和の東京オリンピックの開会式でも使われた、ジョン・レノンの『イマジン』はその頃の歌だと聞きました。テレビを通じて外国の映像がたくさん入ってきた時代というのも「国際理解」というキーワードと関連していたのでしょうか。

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米田

そうだろうね。1960年代から徐々に海外旅行も増えていたからね。外国人とのやり取りが増えていくことを見越してこうしたキーワードが入ってきた側面もあるだろうね。しかし、1977年(昭和52年)の改訂では英語が週3時間となり、「国際理解」は目標から消えたんだ。その代わり「言語活動」の主なものが示された。1989年(平成元年)、第5回目の改訂では「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成」が目標に入り、前の改訂で消えていた「国際理解」が復活している。時間数は週4時間に増えた。

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中野

「国際理解」というキーワードが現れたり消えたり、たしかにこうして示していただくと、その時代によって学習指導要領が試行錯誤しながら変化している様子がわかりますね。

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米田

うん、そういうことだね。そして1998年(平成10年)はいわゆる「ゆとり教育」の学習指導要領告示だった。実はここではじめて外国語を必修とし、英語履修を原則とすることが示されたんだ。だけど、時間数は週3時間に減った。

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中野

それ以前は、英語は必修科目ではなかったんですね。驚きました。

小学校での外国語活動の導入

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米田

それから21世紀に入り、2008年(平成20年)の改訂では「ゆとり教育」を転換した。中学校の英語は週4時間となり、語彙数も増加。小学校5年生から外国語活動が導入されることとなる。

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中野

前の学習指導要領ですね。小学校に外国語活動を入れるのはかなり論争があったと聞きました。

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米田

そうだね。「グローバル化」への対応というのが言われ出して、経済界の要請が無視できない状況というのもあったし、今もその論争は続いているね。そして現行の2017年(平成29年)の学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」が謳われる。中学校の語彙は倍増、言語活動も高度になり英語で授業を行うことも示された。小学校の中学年(3~4年)で「聞くこと」「話すこと」が中心の外国語活動、高学年(5~6年)で「読むこと」「書くこと」を加えて総合的・系統的に学習し、中学校への接続を図る教科としての外国語(英語)を学ぶことが定められた。

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中野

あらためて振り返ってみると、社会情勢の変化とともに学習指導要領が変化していることがよくわかります。

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米田

そうなんだ。学習指導要領は政治や経済と無関係ではないから、日頃の情報収集も大切なんだよ。それと、英語教育とは直接的な関係はないけれど、1947年に公表された「試案」の第四章「学習指導法の一般」の「一 学習指導は何を目ざすか」ではこんなことが書かれている(※)。

「…学習の指導は、もちろん、それによって人類が過去幾千年かの努力で作りあげて来た知識や技能を、わからせることが一つの課題であるにしても、それだけでその目的を達したとはいわれない。(中略)児童や青年は、現在並びに将来の生活に力になるようなことを、力になるように学ばなくてはならない。そこで、われわれは、その指導にあたって、このような生活についてよく考えた教材を用意して、これを将来の力になるように学ぶよう指導しなくてはならないのである。」「では、このような学習の指導を適切にするには、どうしたらよいだろうか。この問に対して第一に答えなくてはならないのは、…まず「学ぶのは児童だ」ということを、頭の底にしっかり置くことがたいせつだということである。教師がしゃべりたてればそれでよろしいと考えたり、教師が教えさえすればそれが指導だと考えるような、教師中心の考え方は、この際すっかり捨ててしまわなければなるまい。(中略)ほんとうの学習は、すらすら学ぶことのできるように、こしらえあげた事を記憶するようなことからは生まれて来ない。まず、自分でみずからの目的をもって、そのやり口を計画し、それによって学習をみずからの力で進め、更に、その努力の結果を自分で反省してみるような、実際の経験を持たなくてはならない。…」

  • 編集部注・旧字体と読点の表記について、原文から一部書き改めています。また、原文の一部を省略し、次の部分とつなぎ合わせている箇所もあります。

75年以上も前の「試案」の中には、自ら問題・課題意識を持ち、課題を設定し主体的に学び実践で確かめる、このような学びに向かう態度を育てるような指導の工夫をすべきである、と述べられているんだ。

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中野

生徒が主体的に学ぶ手助けを自分ができているのか、あらためて振り返る良い機会になりました。

(つづく) 

米田進(よねた・すすむ)

秋田県教育委員会前教育長

1951年秋田県生まれ。東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。秋田県立高等学校教諭・校長等を経て、2011~2020年度まで秋田県教育委員会教育長。

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