
英語教育 温故知新
2023年6月29日 更新
米田進 秋田県教育委員会前教育長
英語教育のこれまでとこれからを、対談形式で語ります。
花井俊太郎先生は、30代の小学校教師。低学年から高学年までの担任経験も豊富ですが、英語の授業には、少し苦手意識を持っています。英語の教科化以来、研修にも積極的に参加してきましたが、いざ授業となると、なかなか思い通りには進められません。そこで、恩師である米田進先生に、どうすればもっと楽しく英語の授業ができるのか、相談にやってきました。
(第1回、第2回の記事はこちら)
日清・日露戦争から太平洋戦争まで
花井
米田先生、明治時代における日本の近代化と、英語学習は切っても切り離せない関係があるとお話ししていただきましたが、戦前や戦後についても教えていただけないでしょうか。
米田
そうだね。まずは1894年、朝鮮南西部において農民蜂起である甲午農民戦争(東学党の乱)が勃発した。朝鮮政府はこの内乱を鎮圧することができず、清国軍に救援を要請する。そこに日本軍も天津条約を口実に出兵し、日清戦争へと発展してしまう。
花井
日清戦争では日本が勝利を収め、下関条約が結ばれて講和が成立しますね。
米田
そう、そして1904年に、日本はロシアとの戦争を開始。日本は、ロシアの満州占領に反対する米・英の支援を得て、有利に戦いを展開する。だが、日本には長期にわたって戦争を続ける国力はなく、ロシア側も国内で革命運動が起こって戦争の継続が難しくなる。アメリカのセオドア・ローズベルト大統領の斡旋で、1905年にアメリカのポーツマスで講和条約に調印する。
花井
日露戦争では、両国とも多くの犠牲を払ったと言われています。
米田
そのとおりだね。そしてここからが本題。日清・日露戦争で勝利を得た日本は、外国との貿易を拡大する時期を迎えることとなる。これに伴い「実用的な英語力」を身につけるべきであるという声が出るようになったといわれている。英文学や英語学などの研究より、商業実務に求められる武器としての英語力が求められてきたんだね。
花井
学問としての英語か、実用としての英語か、今の時代とも重なるような気がしますね。
米田
そうなんだ。この時代、これまでの学校教育で学ぶ英語では会話力がつかないということで、文法や訳読中心の英語教育が批判されることになる。
花井
うーん、なんだか既視感がありますね…。
米田
さらに「西欧化」「文明開化」に必須とされた英語の必要性そのものについても疑問が出るようになったんだ。明治の中頃になり、日本の近代国家としての体制が整ってくると、むしろ日本語や日本の文化に重きを置くべきであるという流れが出てきたんだね。
花井
なるほど、ナショナリズムが高まっていく時期ですから、そのような考えが出てくるのも自然だったのかもしれません。
米田
1890年頃には、小学校での英語教育廃止論が最初のピークを迎えていた。1911年の小学校令の改正により、高等小学校での教科としての英語はその地位を失うこととなる。商業科の中で教えてもよいという程度になった。小・中の英語教育について、マスコミからは「英語は多大な労苦の割には実用水準に達しないので、やめるべき」、「時間をとられすぎなので、他の重要な学科の学習の妨げとなる」、「中学修了後に大学まで進む者は一割足らずなのに、残り九割を英語で苦しめるのは不合理だ」などの主張がなされたようだ。
花井
こういった論争というのは、いつの時代も起こるものなんですね。
米田
その後、軍国主義の台頭とともに、英語教育を廃止すべきという声は帝国議会や帝都教育会から出てくる。また、1924年にアメリカで排日移民法が成立したことも、英語廃止論の声を強めることにもなった。同時に「英語科」の時数の削減、修業年限の短縮などにより、失職するかもしれないという危機感をもった英語の教師たちは、苦しい状況に陥ることになった。
花井
教科としての英語というのは、このような歴史を経ているのですね。
太平洋戦争前~戦時中
米田
さて、その後、日中戦争から第二次大戦そして太平洋戦争へと日本が進んでいく中、国家体制を強化し戦争を遂行していくための人材の育成が最優先事項となった。そのため英語は遠ざけられるようになる。しかし同時に、日本は大東亜共栄圏構想のもと世界の秩序を創り出そうとしていたこともあり、各方面においてリーダーシップをとるためには英語の習得(学習)が必要であるという考えもあった。
花井
この時期の日本は、英語に対して相矛盾する感情を抱いていたのですね。第二次大戦中に「敵性語」として英語を排斥していたのは有名です。
米田
そうだね。とはいえ、全く排除するということにはなっていなかったんだよ。実際には、戦時中も英語教育は行われていたんだ。英語にも通じたリーダーを養成するために、中等教育以上のエリートたち、工業や商業など職業系学校の生徒たち、陸軍士官学校・海軍兵学校生たちに対してはしっかりと英語教育がなされていた。
花井
いわゆるエリート層の教育ですね。
米田
そう。でも一方で、一般の国民にはメディアを通じて英語は敵国の言葉であるということを植え付け、英語の単語も日本語に言い換えられるような現象が出てきた。中には強引とも言える言い換えも多く生まれてくる。
花井
どのような言い換えがあったのでしょう?
米田
例えば、楽器でみるとピアノは「洋琴」、サクソフォーンは「金属製(性)曲がり尺八」、トロンボーンは「抜き差し曲がり金真鍮喇叭」、ヴァイオリンは「瓢箪型糸擦器・提琴」、コントラバスは「妖怪的四弦」などなど。
花井
もはや読めないですね…。英語を全て日本語に言い換える、そんなお笑いコンビがいたような気もします…。
米田
他にも、飲食物においては、フライが「洋天」、コロッケは「油揚げ肉饅頭」、カレーライスは「辛味入汁掛飯」、ドーナツは「砂糖天麩羅」、ビールは「麦酒」など。スポーツ関係でみると、野球や蹴球の他にも、ラグビーは「闘球」、ゴルフは「打球」、スキーは「雪滑」、スケートは「氷滑」、ホッケーは「杖球」、アメリカンフットボールは「鎧球(がいきゅう)」といった具合。
花井
こんなにもたくさんの言い換えがなされていたんですね。でも、意外と生徒にクイズとして出してみたらおもしろいかもしれませんね!
米田
ネットで調べれば、たくさんの例がでてくるよ。ただし、クイズで盛り上がりすぎてしまわないように気をつけてね。
戦後の英語ブーム―学習機会は広範に
米田
さて、そろそろ終わりの時間が近づいてきたようだ。最後に終戦後についてお話ししよう。
花井
第二次大戦後、日本はアメリカ軍による事実上の単独占領となりました。
米田
そして、終戦直後から日本各地に進駐軍の兵士が駐在し街を闊歩するようになった。日本人にとってそれまで敵国語であった英語を学ぶ必要性を感じたり、英語を学びたいと思ったりする人が急増し、いわゆる戦後の英語ブームが起こった。
花井
終戦直後を描いたドラマや映画で、よく出てくる情景ですよね。
米田
そのとおりだね。そして終戦後まもなく9月にラジオの英語講座が復活し、同月『日米会話手帳』も発売、360万部もの売り上げを記録したという。1946年2月1日にはNHKラジオで「英語会話」がスタート。講師は平川唯一氏。テーマ曲のメロディは「証城寺の狸囃子」で、“Come, come, everybody. How do you do, and how are you? ....”と始まり「カムカム英語」として親しまれたという。1951年には放送局が民放に移り「カムカム英語」という講座名になった。2021年9月には『カムカムエヴリバディ―平川唯一と「ラジオ英語会話」の時代』(NHK出版)という本が出ている。著者は唯一さんの次男の洌(きよし)さん。この前読んだけど、当時の様子がよく分かり、とてもおもしろかったよ。
花井
NHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』(2021年~2022年)は、親子3代をヒロインにした素晴らしいドラマでした。
米田
同感だね。また、NHK教育テレビの放送開始とともに英語会話番組がスタートしている。また民放では「百万人の英語」も1958年4月1日から1992年10月4日まで文化放送やラジオたんぱ(現:ラジオNIKKEI)などで放送され、多くの学習者の人気を得た。さらに高校、大学受験における英語の重要性も増してきていた。東京五輪前の1963年8月には、第1回実用英語技能検定が日本英語検定協会によって実施されている。いわゆる「英検」の登場だね。
花井
こうして、今の英語教育、英語学習の環境が出来上がってきたんですね。
米田
うん。日本の歴史と英語の関係をたどってみると、学問と実用の両側面を行きつ戻りつしながら、それぞれの時代状況に即して発展してきたと言えるかもしれないね。
花井
正直に言って、私はこれまで目の前にある教科書で授業をこなすことに追われていました。でも、こうして歴史的な流れを踏まえると、これから子どもたちがどのような時代を生きていって、そのためにどのような力が必要になるのか、改めて考えさせられました。
米田
どうだい花井くん、ちょっとは英語の授業も楽しめるような気になってきたかい?
花井
はい、これからは自分の得意分野も活かしながら、授業を楽しむことができそうです!
(第1部終わり)
第1〜3回 参考文献
- 明石康・NHK「英語でしゃべらナイト」取材班『サムライと英語』(角川oneテーマ21)
- 伊村元道『日本の英語教育200年』(大修館書店)
- 斎藤兆史『英語襲来と日本人 えげれす語事始』(講談社選書メチエ)
- 斎藤兆史『日本人と英語 もうひとつの英語百年史』(研究社)
- 青木昭六『英語科教育法の構築と展開』(現代教育社)
- 鳥飼玖美子・村井章介『歴史は眠らない 2011年2・3月 英語・愛憎の二百年/海がつないだニッポン(知楽遊学シリーズ)』(NHK出版)
- 鳥飼玖美子・鈴木希明・綾部保志・榎本剛士『よくわかる英語教育学』(ミネルヴァ書房)
- 江利川春雄『英語と日本人 挫折と希望の二〇〇年』(ちくま新書)
- 杉本つとむ『日本英語文化史の研究(杉本つとむ著作選集8)』(八坂書房)
- 小川修平「英語教育の歴史的展開にみられるその特徴と長所」(盛岡大学紀要)
- 1947年 学習指導要領試案 pp. 20-21
- 笹山晴生・佐藤信・五味文彦・高埜利彦『詳説 日本史』(山川出版社)
- 全国歴史教育研究協議会『日本史B用語集』(山川出版社)
米田進(よねた・すすむ)
秋田県教育委員会前教育長
1951年秋田県生まれ。東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。秋田県立高等学校教諭・校長等を経て、2011~2020年度まで秋田県教育委員会教育長。