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第1回 子どもたちの「生きづらさ」は「他者とのかかわり」から

子どもたちが他者理解を実感する道徳科授業を

2025年5月22日 更新

久我隆一 調布市立上ノ原小学校 指導教諭

子どもたちが多面的・多角的に考え、その結果として「他者とのちがい」と向き合い、「他者とのちがい」を受け止められるにはどうしたらいいのか考えていきます。

多面的・多角的に考えることの重要性

「おい! タカオが勝手に取ったんだろう。」
「ヒロシの筆箱を届けただけだよ。」

教室で言い争う2人の姿を見て、アキラが止めようとしました。
しかし、アキラの力が強くて、腕をつかまれたヒロシが転んでしまいました。

学校では、このような出来事が日常的に起きています。そして、このような出来事が生じた際に、教師は「何があったのか」「どうして起きてしまったのか」「どうすればよかったのか」「次からどうするのか」といった内容について子どもたちの考えをきき、必要な対応を取っていきます。しかし、このような対応を続けていても、また同じ子どもが新たなトラブルを起こしてしまうことも多々あります。原因はさまざま考えられますが、そのひとつに「自分の判断が正しい」と思い込んでいることが挙げられます。先の事例をもとに考えてみることにします。

ヒロシは、タカオが自分の筆箱を持っているところを見て、「筆箱を奪われた」と思いました。だから、「タカオが悪いことをした」と考えて詰め寄りました。タカオにきちんと「善悪の判断」を理解してもらうために、「正しい」と思うことを伝えたのです。

タカオは、「ヒロシ」と名前が書いてある筆箱が落ちていたので、ヒロシの机の上に届けようとしました。クラスには「授業が終わったら、お道具箱に全ての荷物をしまう」という「規則」があり、その「規則」は絶対に守らなくてはならないと考えて行動しました。その時、ヒロシが詰め寄って来たので、自分は「正しい」と言い返しました。

2人の様子を見ていたアキラは、「仲直りをしてもらいたい」と考え、言い争いを止めに行きました。何よりも「友情、信頼」が大切だと考えているアキラは、自分が間に入って仲直りさせることこそが「正しい」と考え、ヒロシの腕をつかんで2人を離れさせようとしました。

このように考えてみると、全員が「自分の判断が正しい」と思って行動していたことが読み取れます。子どもたちが「当たり前」「当然」「普通」といった言葉を頻繁に使うのは、「自分の判断が正しい」と考えている証でもあります。ただ、「正しさ」の捉えには、人によって「ちがい」があります。ひとつの出来事に対して、ヒロシは「善悪の判断」を理解してもらうことが「正しい」と考え、タカオは「規則」を尊重することが「正しい」と考え、アキラは「友情、信頼」を取り戻すことが「正しい」と考えたように、立場や価値観の「ちがい」によって「正しさ」の捉えにも「ちがい」が生じるのです。

自分とは異なる他者が、自分とは異なる見方や考え方をしていることを理解するのは、容易なことではありません。子どもが何かトラブルを起こすと、大人は「相手の立場になって考えなさい。」「あなたがされたら、どう思うの?」とききがちです。しかし、「相手の立場になって考えること」や「その状況になったつもりで、自分だったらどうするかを考えること」は、「多面的・多角的に考える機会」を意図的につくらなくてはできるようになりません。

子どもたちが抱える「生きづらさ」

「多面的・多角的に考える機会」をつくることの必要性は、子どもたちの姿が私たちに訴えかけてきています。毎年実施されている文部科学省の調査では、「いじめ」「暴力行為」「不登校」の数が、年々増加傾向にあることが報告されています。認知に対する考え方や調査の方法等も変化してきていることから、単純に過去と現在を比較することはできませんが、依然として子どもたちが学校という場で「他者とのかかわり」に問題を抱えていることは明らかです。

実際に、筆者が子どもたちに「他者との関係で迷ったり、悩んだりしたことがありますか。」ときいてみると、子どもたちからはさまざまな「他者とのかかわりの問題」が語られました。例えば、「自分より優れている友達に嫉妬してしまう。」「いつも友達が勉強を教えてくれるけど、どうして助けてくれるのかがわからない。」といった「友情の捉え」についての悩みや、「自分にはやりたいことがあるのに、親が理由も聞かずに怒ってくる。」「自分と親では『必要だと思う時間』が違うので、『勉強しなくていいのか。』ときかれるとイライラする。」といった「正しさの捉え」についての悩みなどが吐露されました。これらの言葉からも、子どもたちが抱える「生きづらさ」は「他者とのかかわりの問題」によって生じている可能性が高いことが読み取れます。そして、その問題の根底には「他者とのちがいを受け止められないこと」があるのだと考えられます。

「他者とのちがい」を学びの対象にする 

上手に他者とかかわれるようになるためには、物事と向き合い、「多面的・多角的に考えること」ができるようにする必要があります。その際、「他者とのちがい」に気づき、「他者とのちがい」を受け止められるようになることが欠かせません。教師が子どもたちとかかわれる時間の多くが「授業」である以上、「授業」によって、子どもたちが「他者とのちがい」と向き合えるようにしていく必要があると言えるでしょう。しかし、そのような学びを「ひとつの教科」だけで実現させていくのは困難です。そこで、本論考では国語科、体育科、道徳科という三つの教科の学びをもとに、「他者とのちがい」を学びの対象にした実践をご紹介していきます。

Illustration: こずまも

久我 隆一(くが・りゅういち)

調布市立上ノ原小学校 指導教諭

東京学芸大学附属竹早小学校教諭、調布市立八雲台小学校主任教諭を経て、現職。
専門の体育科のみならず、国語科、道徳科の研究、実践に取り組む。

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