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第25回 「対話的な学び」を引き出す――「誰かの代わりに」(3年)

そがべ先生の国語教室

2017年12月26日 更新

宗我部 義則 お茶の水女子大学附属中学校副校長

30年の教師生活で培った豊富な実践例をもとに、明日の国語教室に役立つ授業アイデアをご紹介します。

第25回 「対話的な学び」を引き出す
――「誰かの代わりに」(3年)

1.対話的な学び?

「主体的・対話的で深い学び」の実現が今次の学習指導要領改訂で提起されました。
とても実践的で授業づくりに直結する要請なので、現場の先生方の関心も高いことと思います。

今回はこの中の「対話的な学び」を取り上げてみたいと思います。
「対話的な学び」というのはとてもわかりやすいようで、でも「どういうこと?」と聞かれると「子どもどうしが話し合うような授業じゃない?」などと答えたりして、モゴモゴっとなりませんか。

「中央教育審議会答申」(2016年12月)に次の言葉があります。

子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める「対話的な学び」

「対話」の相手は、実は教室の子どもどうしだけでなく、教師や地域の人、さらには先哲つまり「書物の中の考え方」なども含まれるのです。そもそも授業では教師は生徒たちと言葉を交わし合いますね。対話はそれですでに成り立っているのでしょうか。子どもどうしに対話をさせたり、グループ学習なども含めて話し合いをたくさん取り入れたりすれば良いのでしょうか。先哲は昔の偉人たちだけでなく、今のさまざまな文章の著者たちも含めて考えて良さそうですが、著者たちの考えと対話するとはどういうことでしょうか。

そんなことを考えながら実践した、「誰かの代わりに」(鷲田清一/3年)の授業を取り上げてみます。
この授業の様子については、「中学校国語教育相談室 No.82」(2017年1月20日発行)に詳しく取り上げていただいていますので、ご参照ください。

広報誌「中学校国語教育相談室 No.82」

2.「誰かの代わりに」を読む(授業の概略)

さて、「未来に向かって~『わたしを束ねないで』『誰かの代わりに』」の授業はこんなふうに展開しました。

第1時 「わたしを束ねないで」の朗読

第2時 自分の考えをもつ
○学習目標「筆者のものの見方や考え方をとらえて自分の生き方を考える」を提示
○学習課題の提示
(1)論説の読み方
1 言葉の定義を確かめて
2 言い換えに注意して
3 「なぜ?」と筆者に問いながら
(2)自分の生活や生き方と結んで読む
話し合って、考えて、広げる・深める
○題名読み
・「誰かの代わりに」に続く言葉は?
・「自分」とは?
・「自立」とは?
○「誰かの代わりに」を通読……三つの観点で色分けした線を引きながら
・共感(あるある、自分もそう思ってた)
・納得(たしかに、なるほど)
・疑問(わからない、なぜ)

第3・4時 感想を出し合い、疑問点について班で話し合う
・共感・納得・疑問を学習班で出し合い、カード化して発表
・疑問のカードを分類・整理して読み解く課題を設定
→ 学習班で選択・分担して疑問の答えを考える。

画像、共感のカード例

画像、共感のカード例

共感のカード例

画像、納得のカード例

画像、納得のカード例

納得のカード例

画像、疑問のカード例

画像、疑問のカード例

共感のカード例

第5時 筆者の考えを読み解き、全体で話し合う
・各班の発表(担当した疑問に対する班の解釈・答えを発表し合う)
・発表内容について議論する

3.学習班での話し合いの様子

第3・4時で、「『誰かの代わりに』という意識とは?」という疑問を担当した学習班(D班)の生徒たちは、こんなやり取りをしながら解釈を深めていきました。ちょっと話し合いの様子を見てみましょう。

画像、D班が担当した疑問のカード
D班が担当した疑問のカード

生徒1 「代わり」でしょ。誰かを「支える」んじゃなくて、誰かの「代わりに」。

生徒2 ちょっと大げさに言ってるんじゃないかな。

生徒1 「代わり」って何?

生徒3 書いてみる?そういうのを。「支える」じゃなくて、「代わりに」にした理由とは、みたいな感じで。

生徒2 そういうことじゃないの?

生徒4 何が?

生徒2 それができない人のために……。

生徒3 そこ、重要そうだよね。わざわざ「誰かの代わり」って言った。「誰かを支える」じゃなくて「誰かの代わりに」にした理由。

生徒2 でもさ、そんなに? 間違っちゃっただけなんじゃないの?鷲田さん。

生徒4 それはさすがにないと思う。

生徒1 なんでだろう。なんで「支える」じゃなくて、「代わりに」にしたんだろう。

生徒3 あ、責任! 「支える」だけじゃなくて、「代わりに」っていう責任、みたいな。意識的な問題じゃない? だって、同じこと示してるけど……。

生徒1 「支える」だと、サポートって感じ。(生徒3:うん)。
で、「代わりに」だと、それに責任を伴う……。

生徒3 そうそうそう。なんかそう。

生徒1 責任を伴う。(生徒2:ごめん、もう1回言って?)

生徒3 だから、(中略)「支える」だけだと、ただのサポートにしかすぎないけど、「代わりに」って、「誰かの代わりに」って。

生徒1 「支える」+「責任」。(生徒3:そう、責任。)

生徒2 じゃあ、「代わりに」っていうのは「責任」を表しているってことでいいの? もっと重要になってくるってこと?

生徒1 そうそうそう。「誰かの代わりに何かをする」だから、責任も伴うみたいな。


こんな話し合いを経て、このグループは、下のようなフリップを作って発表しました。

画像、D班のフリップ
D班のフリップ

4.筆者との「対話」から「深い」読みへ

このグループは「なぜ、『誰かの代わりに』という意識が大切だと筆者は言っているのか」を考えています。
その鍵として「代わりに」という言い方に着目しました。「支える」というのとどう違うのかと話し合っていくうちに、「誰かの代わりに」何かをやるということは、代わりにやってあげようとするとき、その「誰か」に対して「責任」が生じるのではないかと気づきます。「支える」なら主体はあくまで「誰か」であって、誠意をもって支援するにしても責任は生じないのです。助けてあげるだけですから。しかし、自分が「代わりに」やるとなれば、自分ができなかったら申し訳ないことになる。つまり「誰かの代わりに」何かをするということは、自分が責任をもつ意識で取り組む必要が生じてくるということに気づいたのです。

つまり、このグループの生徒たちは、筆者の鷲田さんは、
「自立」とは、いつでも支え合う用意ができていること
=いつでも「誰かの代わりに自分が行動できる」という心の準備ができている状態をいうのだ

と考えているのだと解釈したわけです。

このとき、彼らは鷲田さんの文章を通して、鷲田さんと対話しています。「どういう意味?」「こういうこと?」「こう言いたいのですね?」一人一人が筆者とそんな対話をしながら、グループのメンバーと対話しているといえるのではないでしょうか。

「対話的な学び」の在り方の中に、「先哲の考え方を手掛かりに」とありましたが、この場面で生徒たちが見せた学習の様子は、まさに「対話的な学び」の姿であったように感じました。そんな話し合いを進める生徒たちへの畏敬と感動をもって――。

5.「対話的な」読みの学習にしていくために

実は私は、読むという行為自体がとても対話的なものだと考えています。
対話的であるとは、本や文章の「意味」は、本や文章と読み手の間で、作られていくものだと考えるということです。「意味」は「読むという行為の中で生成される」というのは、テクスト論とか読者論とか読書行為論などといわれる考え方や立場でよく言われます。私自身はそういう考え方には学びつつも、もっと単純に子どもたちの読む姿の中から、そんなふうに考えるようになりました。

私たち教師は、読むことの授業に臨むにあたり、入念に教材研究をします。そして、教材研究によって一つの解釈(教師の読み)ができあがります。私たちはともすると、この解釈を絶対視しがちです。絶対視しないまでも、生徒たちの解釈や教材理解をこの解釈や理解に照らして評価してしまっていないでしょうか。よく読めているとか、十分理解できていないとか。そして、丁寧に、力を入れて教材研究をすればするほどその傾向は強まりがちではないでしょうか。

しかし、授業での読みが対話的なものになるためには、それではだめです。
教師自身も、生徒たちと一緒に、文章と対話し、筆者に問いかけつつ読んでいくとき、生徒は生徒どうしとも、また教師とも対話を始めます。そういう授業の中にこそ、「対話的な学び」があるように思っています。

次回は、詩の授業をご紹介します。

宗我部義則(そがべ・よしのり)

1962年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学附属中学校主幹教諭。お茶の水女子大学非常勤講師、早稲田大学非常勤講師。平成20年告示中学校学習指導要領解説国語編作成協力者。編著書に『群読の発表指導・細案』(明治図書出版)、『夢中・熱中・集中…そして感動 柏市立中原小学校の挑戦!』(東洋館出版社)、『中学校国語科新授業モデル 話すこと・聞くこと編』(明治図書出版)など。光村図書中学校『国語』教科書編集委員を務める。

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