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第14回 聖書の世界とシェイクスピア

英語教育 温故知新

2024年8月23日 更新

米田進 秋田県教育委員会前教育長

英語教育のこれまでとこれからを、対談形式で語ります。

小学校で教える花井俊太郎先生と中学校で教える中野友理香先生は、英語の授業をより良いものにするために恩師である米田先生に相談にやってきました…。

はじめに

花井先生の画像

花井

米田先生、前回はギリシア神話やイソップ物語など、生徒だけでなく教師にとってもとても勉強になるお話をしていただきました。ほかにも、英語の教養を深めるために知っておきたいお話をお願いできますか。

米田先生の画像

米田

そうだね、今日は聖書の世界とシェイクスピアについて紹介しよう。

中野先生の画像

中野

どちらも現在の英語に深く影響を与えた重要なテーマですね。

米田先生の画像

米田

うん、そのとおり。もちろん、どちらも一生をかけて研究するような壮大なテーマだから、私が話せるのはほんの少しだけだけど、ぜひ興味を持って知識を広げていってほしい。

聖書と英語

米田先生の画像

米田

まず、聖書には「旧約聖書」と「新約聖書」があることは知っているね。

花井先生の画像

花井

はい、ユダヤ教徒にとっては「旧約聖書」が唯一の聖典として、キリスト教徒にとっては「旧約聖書」と「新約聖書」が聖典となっています。

米田先生の画像

米田

そうだね。どちらも西欧の美術に大きな影響を与えているんだ。聖書の中に出てくるさまざまな場面が絵画や彫刻、建築などに登場しているよ。また、英語はもちろんのこと、西欧の言語表現にも聖書が起源となっているものが随所に見られるね。

中野先生の画像

中野

ギリシア神話と同様に、聖書のことを知っていると、絵画などの理解も深まりますね。

米田先生の画像

米田

そうなんだ。ただ、「聖書を読むこと」自体はあくまでも信仰に関わることだから、各々の判断に任せることであり、ましてや子どもたちに強要するようなことがあってはならないから、くれぐれも慎重に取り扱ってね。

花井先生の画像

花井

はい、多様な文化背景を持っている児童・生徒が増えてきているので、気をつけたいと思います。

米田先生の画像

米田

うん、気をつけよう。いずれ英語の理解を深める上で、聖書に出てくる表現はとても役に立つものも多いので、切り口を考えながら紹介していくとよいだろう。まずは、日本語でもなじみのあることわざや格言の中で聖書からきているものを紹介してみてはどうだろう。

中野先生の画像

中野

ことわざの紹介であれば、生徒も興味を持ってくれそうですね。

米田先生の画像

米田

たぶんね。たとえば「目から鱗が落ちる」。これについてはある英和辞書に「The scales fall from one’s eyes.(文語)」という英文が掲載され「(人の)目から鱗が落ちる、誤りを悟る」という説明が出ている。これは新約聖書の「使徒行伝・9章18節」の「サウロの回心」と言われるものに出てくるんだ。

花井先生の画像

花井

へぇ、てっきり故事成語かと思っていました。

米田先生の画像

米田

そんな感じがするよね。実はこんな話なんだ…。キリストの使徒であるパウロがサウロと名乗っていた時代、彼はキリスト教徒を迫害するグループのリーダーのような存在だったという。ある旅の途中、天から光りの中に現れたイエスの霊に遭遇したサウロはその強い光で視力が無くなった。その後サウロのところに、キリスト教会のアナニアという人が来て、イエスの名によってサウロの上に手を置くと「たちまち目から鱗のようなものが落ち、サウロは元通り目が見えるようになった」とある。そして、それまでキリスト教徒を迫害していたサウロが180度人生の転換をしてキリストの伝道者となった。サウロはイエスと出会うことによって過ちに気がつき名前もサウロからパウロに変えて、新しい生き方をするようになった。

中野先生の画像

中野

なるほど、そこから「目から鱗が落ちる」という表現が生まれたんですね。

米田先生の画像

米田

という話だね。このほか、日本でも有名なことわざとして、「豚に真珠」というのがある。意味としては「猫に小判」と同じだけど、これもマタイによる福音書7:6で、「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向き直ってあなたがたにかみついてくるであろう」という記述からきている。

花井先生の画像

花井

これも聖書からの表現なんですね。知りませんでした。

米田先生の画像

米田

こうした聖書由来の表現は数え上げれば切りがないけれど、英語という言葉の背景にあるものや心を学ぶことも大切だから、興味をもって調べてみたらどうだろう。

シェイクスピアの名言

米田先生の画像

米田

これまでにも何度か触れたシェイクスピア(William Shakespeare, 1564~1616)について、改めて紹介していこう。

中野先生の画像

中野

シェイクスピアの作品は多くの人々に親しまれていますが、原作は大変難しいですよね。私も大学時代に一度挑戦して挫折した記憶が……。

米田先生の画像

米田

確かに難しい…。彼の書いた英語はEarly Modern English(初期近代英語)と呼ばれ、現代の英語とは語法も文法も少し違っている。ただ、当時の英語の実態を知るうえで、とても貴重な資料になっていると言われているんだ。『英語の極意』(杉田敏著、集英社インターナショナル、2023)という本の中で、シェイクスピアによる演劇のタイトルがそのまま現代でも使われていることが紹介されている。

花井先生の画像

花井

たしか、「終わりよければ全てよし」でした。(第10回参照

米田先生の画像

米田

そのとおり、『All’s Well That Ends Well』だ。ほかにも、『As You Like It(お気に召すまま)』も知られているね。

中野先生の画像

中野

シェイクスピアの作品の中にも多くの名言が残っています。

米田先生の画像

米田

そうだね。今でも多く使われるものを作品ごとに紹介していこう。まずは『ヴェニスの商人』から。「Love is blind.(恋は盲目)」、「All that glitters is not gold.(輝くもの必ずしも金ならず)」はどちらも有名なことわざ。もう1つ「The truth will out.(真実はいずれ明らかになる)」という表現もある。これには動詞がないので非文法的なのだが、今の英語ではThe truth will come out.ということになる。outはこの時代には公になるという意味の動詞として使われていたのだろう。

花井先生の画像

花井

『ヴェニスの商人』は舞台だけでなく多くの映画やマンガ化がなされた、シェイクスピアの喜劇の代表作の1つですね。

米田先生の画像

米田

うん。この作品は、反ユダヤ的な内容も含むので、今でもいろいろと論争があるようだけど、先に挙げたように多くの名言も残っている作品なんだ。

中野先生の画像

中野

シェイクスピアといえば悲劇のイメージもありますね。私は『ロミオとジュリエット』が好きでした。

米田先生の画像

米田

そうだね。『ロミオとジュリエット』では、あまりにも有名な「Oh Romeo, Romeo, why are you Romeo?(ああ、ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?)」というセリフのほかにも「What’s in a name? That which we call a rose by any other name would smell as sweet.(名前がなんだというの。私たちがバラと呼ぶものは、別のどんな名前を付けても、同じ甘い香りがするのに)」や「Parting is such sweet sorrow.(別れとは、何と甘美な悲しみであることよ!)」といったセリフがある。どれも内容的には少し大人びているけれど、思春期の子どもたちには響くものがあるかもしれないね。

中野先生の画像

中野

古典作品とはいえ、今でもシェイクスピア劇は演劇界では一大ジャンルですから、刺さる子には刺さると思います。

米田先生の画像

米田

そう思うね。ほかにも『英語の極意』の中には「salad days(無経験な青二才時代、駆け出しのころ)」なんて例が挙げられている。これはシェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』に出てくる表現だ。「as green as grass(〈人が〉未熟な)」という表現や「green horn(初心者・新米)」のように、greenは日本語の「青い」と同じ発想だが、salad daysも似たような意味合いがあるとしている。サラダの色はgreenということだろうね。

花井先生の画像

花井

新緑や若葉のイメージはいつの時代も共通ということでしょうか。うーん、お肉が大好きな私ですが、英語に関してはまだまだ「salad days」ですね。

米田先生の画像

米田

はっはっは、英語に限らず学習にはいつでも誰にでも謙虚さが求められるから、初心を忘れず、頑張ろう。

(つづく)

米田進(よねた・すすむ)

秋田県教育委員会前教育長

1951年秋田県生まれ。東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。秋田県立高等学校教諭・校長等を経て、2011~2020年度まで秋田県教育委員会教育長。

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