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第5回 保護者と向き合う

多様性を尊重し合う学校づくり

2023年6月27日 更新

熊谷 茂樹 前 埼玉県川口市立朝日東小学校長

一人一人の多様性を尊重し、生かす――そうした学校づくりに長く取り組んできた筆者が、これまでのエピソードをつづります。

第5回 保護者と向き合う

人には人の事情がある。そういうことを若い頃は考えなかった。年を重ね、自分も人様には言えない事情を抱えるようになり、誰もが思いもよらぬ事情を抱えているのだと知る。

職員からの評判がどうにもよくない母親がいた。母一人子一人のシングルマザーで、経済的にも大変だと聞いていた。まず必要書類の提出が必ず遅れる。子どもはしょっちゅうトラブルを起こし、そのたびに担任が電話するが、一度では出ない。留守電に残しても折り返しはない。学校に呼び出せば、目をつり上げて、戦闘的ともいえる態度でやって来る。とにかく「やっかいな」保護者の一人であった。仮にAさんとしよう。
ある日、事務員さんが校長室に来て、「準要保護の申請の締め切りが迫っています。Aさんの書類が出ません。私から電話して学校に来てもらってもいいですか」と言う。もちろん。来校したAさんは事務室でしばらく過ごし、帰っていった。すぐに事務員さんが飛んで来た。「校長先生、あのお母さん、字が書けません。読むのも厳しい。今までは職場の同僚やパートナーの人に書いてもらっていたようです」と報告してくれた。情報は職員で共有した。担任は30代の女性だった。件のAさんと同世代である。

あるとき、Aさんの子どもが級友に怪我をさせてしまった。幸いちょっとしたひっかき傷で、やられた側の保護者も「子どものケンカです。大事にはしないでください」と言ってくれたが、Aさんに事情を説明しないわけにはいかない。担任がAさんを呼び出すと、やはり硬いオーラを全身に纏っている。一対一の担任との面談が終わる頃、様子を見に行くと、ちょうど二人で教室から出てくるところだった。二人は笑っている。Aさんは、別人のように担任に笑顔で話しかけている。玄関で見送るときには、Aさんは担任に手を振った。
どんなマジックがあったのか。「私、最初に『お母さん、なんでも話して!』と言って手を握りました。私と同じ青春時代を送った女性が、私の想像などできない世界で苦労してきたんです。AさんにはAさんの事情があるなんてことを考えることもしなかった。そしたら、Aさん、堰を切ったようにいろいろお話をしてくれました。話し込んでいるうちに、10代の頃に憧れたアイドルが一緒だとわかって。そんな話でも盛り上がりました。これからはなんでも相談してくれるって……」と言いながら、担任は泣いた。以来、Aさんの子どもは劇的に穏やかになった。Aさんは、大切な提出書類があると学校に来て、事務員さんや担任と一緒に記入した。毎回、笑顔でやって来て、笑顔で帰っていった。こういうことがあるから、この仕事は辞められない。

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トラブルメーカーと思われてしまう人にはそうなるまでの事情がある。多様性を尊重するとは、自分にとって都合のよい人を受け入れることではない。都合のよくない、面倒な他者こそ排斥せず、ぎりぎりで受け止めることだ。それは、とても気持ちが重たくなることだが、我々には、その覚悟が必要だ。

Illustration: こやまもえ 

熊谷 茂樹(くまがい・しげき)

前 埼玉県川口市立朝日東小学校長

1961年生まれ。埼玉県特別活動研究会顧問。埼玉県蕨市・川口市の公立中学校教諭を経て、2005年、川口市教育委員会 指導課指導主事として、国語・特別活動を担当。その後、川口市の公立小・中学校にて教頭、校長を務め、2022年3月に退職。現在、川口市の公立小学校にて初任者研修指導教官を務める。埼玉県内外にて、国語・特別活動・学級経営に関する指導を行う。教育総合誌「教育総合技術」(小学館)で連載「今月の学校経営」を執筆。

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