道徳授業で哲学鍋を
2026年10月13日 更新
苫野 一徳 熊本大学大学院准教授
「哲学鍋」とは、みんなの考えをもち寄りぐつぐつ煮込みながら、みんながおいしいと思える味(より本質的な考え)に仕上げていく営みをイメージしたものです。
子どもたちと取り組んでいる「子ども本質観取の会」。
今回は、10月13日(「問う意味」を考える日!)発売の『ときどき哲学対話――本質観取って、なんだろう』を記念して、「『楽しい』って、何だろう?」をテーマとしてみました。
本質観取は楽しい! 問い合うことは楽しい!
果たして、そんな「楽しい」を実感できる会になったのか?!
どんな「楽しい」の本質にたどり着くことができたのか?!
どうぞお楽しみください。
「楽しい」の本質がわかると、どんないいことがあるだろう?
苫野:
今日は、初めて参加してくれる人もたくさんいます。皆さん、どうもありがとう。本質観取は、まず最初に、その本質がわかるとどんないいことがありそうかを考えるところから始まります。皆さん、どうだろう。「楽しい」の本質がわかると、どんないいことがありそうかな?
ちはや(中1):
やっぱり、人生を楽しめるようになりますよね。
けいすけ(小6):
嫌なことがあっても、楽しいことを見つけることができるようになるかなと思います。
苫野:
いいですね。うん、本当にそうですね。楽しく生きられるようになるために、今日は「楽しい」の本質を言葉にしてやりましょう!
「楽しい」の体験例・具体例をもち寄ろう
苫野:
ではまず、「楽しい」の体験例・具体例をたくさんもち寄りましょう。そうすると、不思議なことに、それら全てに共通するキーワードが見えてくるはず。そしてちょっとずつ、「楽しい」の本質が言葉になっていくはずです。その過程を、ぜひいっしょに、まさに楽しんでもらえたらと思います。
ちはや:
僕はポケモンカードをやってる時が楽しいです。趣味のことをしている時は、どんなことをしていても楽しいですね。
けいすけ:
僕は野球をしている時、楽しいです。得意だから。
こうき(小6):
USJのアトラクションは楽しいです。恐怖系のやつ。
苫野:
なるほど。そういえば、人は恐怖だって楽しめるんだね。おもしろいね。
すがわら(中2):
私はペットと戯れている時が楽しいです。
ひまり(小6):
器械体操している時、楽しいです。あと一歩で達成できそう、みたいな時が特に楽しいです。目標に近づく楽しさというか。
ふたば(小4):
私はお琴を弾いてる時、楽しいです。好きなことだから。あと、ひまりさんと同じで、弾けなかった曲が弾けるようになった時も楽しいです。
けいすけ:
学校でお題を決められて工作するのはあんまり楽しくないけど、自分で自由にものを作ってる時は楽しいです。
苫野:
なるほど。「自由」っていう言葉は、もしかしたらこの後のキーワードになるかもしれないですね。
すがわら:
ゲームで競い合ってる時も楽しいです。
苫野:
そうか、競争の「楽しい」もあるね。ひと口に「楽しい」といっても、いろんなパターンがあるなぁ。
キーワードを見つけていこう
苫野:
じゃあここからは、これまでに出てきた例に共通するキーワードを見つけていきましょう。ちょっとずつ難しくなるけど、まさにここからが本質観取の「楽しい」ところなので、いっしょに楽しんでもらえたらと思います。うん、そう、なんで私が本質観取を「楽しい」と思うかっていうと、これまで十分に言葉にできなかった深い本質をいっしょに発見できるから、かな。この「発見」も、一つのキーワードかもしれません。
ちはや:
「達成」はどうですか?
ひまり:
うん、「目標」の達成とか、楽しいですね。達成した時だけじゃなくて、そこに向かってるプロセスも楽しいです。
ちはや:
「好き」もキーワードかな。「好き」のない「楽しい」ってないんじゃないでしょうか。
全員:
確かに。
けいすけ:
さっき言った「自由」も、やっぱり大事な気がします。「楽しい」時は必ず「自由」を感じてるんじゃないかなぁ。
苫野:
いいね、いいね。いい言葉がたくさん出てきました。
本質を言葉にしてみよう!
苫野:
じゃあそろそろ、「これがなければ楽しいとは決して言えない」という本質を見つけてみましょうか。ここまで幾つもキーワードが出てきたけど、例えば、「好き」は「楽しい」に必ずあるのか。「目標」に向かってる、ということは、「楽しい」に不可欠なのか。そんなふうにして、ど真ん中の言葉を見つけてみたいと思います。
けいすけ:
「好き」は必ずあると思います。「まあまあ好き」も含めて、好きじゃないものを楽しむことはできないんじゃないかなぁ。
ひまり:
でも私、もともとは体操が好きじゃなかったんだけど、やっているうちに楽しくなったんです。
ゆうと(小4):
高いところからジャンプする時とかも、最初は怖いけど、飛んでみたら楽しかったってありますよね。
苫野:
なるほどぉ。じゃあ、「好き」は「楽しい」のど真ん中じゃない? むしろ「達成感」とかがど真ん中なのかな? う~ん、どうだろう。
ゆうと:
でも、飛行機に乗って楽しい、っていう時、別に何か達成感があるって感じはしないんですが……。
全員:
確かに(笑)
ちはや:
やっぱりその場合も、飛行機に乗るのが「好き」だからなんじゃないですか? 「楽しい」の本質は、やっぱり「好き」だと思います。
苫野:
やっぱり「好き」かぁ。戻ってきたね。
ちはや:
さっきひまりさんが言った、もともと体操は好きじゃなかったけど、やっているうちに楽しくなった、というのは、やっているうちに「好き」になった、ってことなんじゃないですか? ゆうと君が言った、高いところからジャンプするのが最初は怖かったけど、やってみたら楽しかった、というのも、やってみたら「好き」になったってことなんだと思います。
全員:
納得!
苫野:
なるほど、「楽しい」の本質はやっぱり「好き」なのか。うん、説得力あるね。じゃあ逆に、「好き」は必ず「楽しい」なのかな? たとえば、僕は好きなうなぎを食べている時は、「楽しい」というより「うれしい」なんだけど……。
ちはや:
確かに、「好き」だけじゃ「楽しい」の本質を言い表せてない気がしますね。まだ足りない感じ。
すがわら:
楽しい時は、やっぱり「自由」を感じてると思います。「楽しい」は、「好き」プラス「自由」。
ふたば:
うん。お琴も、「好き」な曲を「自由」に弾けてるから「楽しい」んだと思います。好きじゃない曲を無理やり練習させられたら、やっぱり楽しくないと思います。
苫野:
なるほど、「好き」と「自由」。これが「楽しい」の本質なのか。うん、納得。この二つで「楽しい」の本質は言い表せてそうかな?
こうき:
う~ん。まだ何か足りない気がします。例えば、心が満たされてる、満足してる、っていうのも大事な気がします。「楽しい」時って、やっぱり満足してませんか?
苫野:
なるほどぉ、「満足」かぁ。確かに、最初にみんなが挙げてくれたどの例を見ても、「好き」「自由」「満足」が、「楽しい」の本質になってる気がするね。
ふたば:
でも私は、お琴をうまく弾けなくて、「満足」しない時でも楽しいです。
こうき:
う~ん、そうかぁ。
ひまり:
でもそれって、今の演奏には満足していないだけで、お琴を弾くこと自体には「満足」してるんじゃないですか? それか、きっとこのあと満足するはずっていう可能性を感じてるとか。
ふたば:
確かに、そう言われると、そうだと思います。
苫野:
なるほど。「満足の可能性」という言葉、とてもいいね。
ひまり:
私は、体操がうまくできなくても、できるようになろうって練習している時は楽しいです。それってやっぱり、「満足の可能性」を感じてるからだと思います。
ちはや:
楽しい時は、十分それに満足してる時もあるし、「満足の可能性」を感じている時もあるんだと思いました。
全員:
納得です。
苫野:
いいね。じゃあこれで、「楽しい」の本質は言葉にできたかな?
今日のまとめ
「楽しい」の本質は、①好き、②自由、③満足あるいは満足の可能性、である!
苫野:
どうかな、みなさん。改めて納得感はありますか?
全員:
納得です!
苫野:
いやー、今日もすばらしい本質観取ができました。まさに「楽しい」時間でした。皆さん、ありがとうございました。
全員:
ありがとうございました!
タイトルイラスト: 霜田あゆ美
苫野 一徳(とまの・いっとく)
熊本大学大学院准教授
1980年兵庫県生まれ。熊本大学大学院教育学研究科准教授。専門は哲学、教育学。著書に『親子で哲学対話―10分からはじめる「本質を考える」レッスン』(大和書房)、『愛』(講談社)、『学問としての教育学』(日本評論社)など多数。光村図書 小・中学校「道徳」教科書編集委員。
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